2004.09.19

[九大14]出張の宿1

いかにも旅行案内風の題名だが、学会も12月上旬にあることで、よく聞かれるので、九大箱崎キャンパスが出張先の時にはどこに泊まるのがいいかについて書いてみる(箱崎キャンパスが目的地の場合であり、馬出はともかくとして、筑紫や六本松キャンパスにいくときなどはもちろん異なる)。実は私は福岡にあまり長く住んでおらず(四捨五入すると0年)、それほど詳しくないのだがわかる範囲で書く。まず、大きく分かれるのは、街中(ここでは福岡市の中心的な繁華街を漠然と指す)か箱崎付近かである。夜、中心的な繁華街に行くなら宿も多いし、街中ということになる。とにかく仕事だけで箱崎で夕食も食べるつもりなら、箱崎付近ということになるが宿はごく少ない(たいていはリーセントホテルに泊まってもらっている)。街中から九大に行くのはまず地下鉄ということになるので、街中に泊まる時には地下鉄の駅の近くがいいだろう。たいてい、博多(地域名ではなく駅名)、祇園、中洲川端、天神、赤坂、呉服町のどれかの駅のそばということになるだろう。この中では、地下鉄を乗り換えずにすむことを考えると、中洲川端か呉服町がいい。しかし、適当な値段の宿は多くない。宿が多い、博多と天神では、どちらかといえば天神の方がいいだろう。博多(や祇園)から箱崎九大前駅に行くには必ず中洲川端で乗り換えなくてはいけないが、天神から箱崎九大前なら3本に1本くらいは乗り換えなくていい貝塚行きがあるから。もっとも博多なら、JRに乗ってJR箱崎駅を使う(地下鉄よりも徒歩が数分増えるが、もちろん乗り換えは不要)という手もあるので、博多と天神の差は小さいだろう。JRで九大に行くなら、朝はとくに箱崎に停車する列車の時間を調べておいたほうがいいー反対方向の列車は混んでおり箱崎駅通過のダメージは深い。
 天神にしろ博多にしろあるいは中洲川端や祇園、呉服町、赤坂のどこにしても、地図サイトなどで駅からどのくらいかかるか確認しておくのはいうまでもない。最寄り駅は確かに祇園だが呉服町からもそれほどの距離ではない、といったこともある。

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2004.08.31

[九大12]西鉄宮地岳線

 学会などで九大箱崎キャンパスに来るとき、西鉄宮地岳線を使う人はごく少ないだろう。だが、西鉄宮地岳線の終点で地下鉄との乗り換え駅でもある貝塚駅へは九大理学部から歩いて10分あまりである。久しぶりに西鉄宮地岳線を使う人はびっくりするかもしれない。高架になっているうえ、名島駅は場所が変わり、名香野駅に至っては名前が千早駅になってなんとJRと同じ駅(といろいろなところに書いてあるのを見ましたのでこう書きますが、後で現地調査します)になっている。JRと西鉄が・・・同じ駅・・・

追記ー本当に同じ駅でしかも大きな建物だった。やや驚いた。

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2004.06.02

[九大9]JRと九大1

 九大(箱崎地区)とくに理学部や農学部に生活する人にとって、JRはかなり不便な代物だった。JRは九大(箱崎地区)の東端を添うように走っており、理学部や農学部の目の前を通っているにもかかわらず、である。
 ”JRがかなり不便”という場合よくみられるのは、本数が少なすぎて、というものだろう。だが、九大の脇を走っているのは、九州では幹線中の幹線である鹿児島本線、しかも小倉(北九州市)と博多(福岡市)の間である。それなりの本数はある。
 ここの場合、問題は近くに駅がなかったことである。博多-吉塚-箱崎-香椎、という順で駅は並んでいた。
吉塚と箱崎の間が約1キロなのに、箱崎-香椎は約5キロで、並行している市営地下鉄+西鉄だと、箱崎宮前-箱崎九大前-貝塚-名島-名香野-香椎参道-西鉄香椎、となる。しかも、箱崎駅から九大の理学部や農学部までは、地下鉄で1.5駅分くらいあった。

 少し前に箱崎駅が九大よりに移動してぐっと便利になった。理学部までは普通に歩いて12分くらいである。でも箱崎に止まらない列車(特急だけではなく快速とか)もあるから気をつけて。

 なお、千早駅ができて、いまは博多-吉塚-箱崎-千早-香椎、となっている。

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2004.05.29

[九大]一見の価値ある

 古い大学には昔の建物があって、その大学にとっては由緒あるものだったりするが、とくに建築にかかわっているわけでもない普通の人が見ておもしろいとは限らない。ところが、九大箱崎キャンパスには、一部の市民にも親しまれた、印象的な建物がある。工学部の航空である。この建物は、外から見ても(とくに上の方)中がどうなっているのかはなかなか想像しがたい。
 この航空の筋向いには、直角とかでなく中途半端な角度で廊下が折れ曲がっているところが数箇所ある理学部の建物もあるのだが、こちらは、よく見ないと、不思議さはわからない。

 同じ組織に属する隣接した建物は、大体、直角か平行に建っているものだが、九大箱崎キャンパスにある理学部1号館(別名、本館)と2号館はそうではない。この2つの建物は2箇所でつながっている。中央部同士を渡り廊下(と勝手に呼ぶ)で、東の端(箱崎で言う南)も建物があってつながっている。
 ところが、1号館と2号館は平行ではなく、おそらく10度か15度くらいの角度を成している。わりと大まかな地図で見ても平行でないことがわかるくらいの角度である。飛行機から確認しようと思ったこともあるが、福岡空港への着陸時はあまりに理学部の真上で低空を通るので確認はむずかしい。

 平行でない理由は、2号館が工学部の基線によっており、1号館は農学部の基線によっているためらしい。

 次に理学部1号館と2号館をつないでいるものはどうなっているのだろうかと、考えるのは当然だろう。これも割合、複雑である。平行でないから、少なくとも1箇所では90度でない角度で曲がっている箇所があるはずである。中央部同士をつなぐ渡り廊下では90度でない部分は1つだけだが、東側のつながっているところではもう1つ、つまり2箇所なのである。こちらは地図ではわからないだろう。

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[九大]箱崎付近の方角

 九大箱崎キャンパスにはいくつかの門があるが、その中でもバス停の名前にもなり、警備員詰め所も一応ある、いわば主要な門の1つが北門である。国道3号線に面している唯一の門でもある。だが、この門は、九大の門の中でもっとも北の方にあるわけではない。はるか北に貝塚門(これもなかなかメジャーな門)があるし、中門や農学部門はほとんど同じくらい北だ。むしろ、地図を見れば北門は西門と呼ばれるべき場所にある。なぜ、西門ではなく北門なのだろうか(実はあまりポピュラーではないが、西門と言う門もある。だが、この門よりも北門の方が西にある)。
 箱崎小学校と東箱崎小学校もそうだ。東箱崎小学校は、箱崎小学校のほとんどはかったかのように北にある。
 ある程度、九大箱崎キャンパスにいた人ならとくに不思議とは思わないかもしれない。この地帯では、地図で言う北は東と呼ばれ、地図でいう西が北と呼ばれているからである。90度ずれているわけである。長く九大箱崎キャンパスで生活している人と話すと北(JR鹿児島本線はほぼ南北に走っている)を西と言うのがむしろ普通であり、とまどうことがある。南は西と呼ばれ、東は南と呼ばれてきたはずだが、北門と東箱崎小学校の2つのような明快な証拠には出会っていない。
 ”東は南と呼ばれてきた”と書けば、古代史が好きな人なら、「邪馬台国!」と叫んでもおかしくない。あの邪馬台国(三国志での表記はむしろ邪馬壱国)が近畿地方にあったというのは有力な仮説だそうだが、その難点として九州北部付近から邪馬台国に行くのに南に行くと三国志に書いてあることがある。九州に邪馬台国があったという仮説からすると、方向を90度もまちがえるわけないだろう、ということになるのだが、南は東の書き間違いだという仮説も実在する。
 だが、九大箱崎キャンパス付近では上記のような証拠もあげたように「東は南と呼ばれてきた」と考えられる。この九州北部で方角の呼び名を実地調査した結果を邪馬台国所在地比定と結びつけた研究者がいないのも謎である。1945年の敗戦(だれに負けたのですか? という質問があったので書いておくと、日本[そのころは帝国]がアメリカとか中国とかもろもろの連合国と呼ばれる国々に負けた)まで、北部九州の考古学的な遺跡が激烈に軽視されてきたこととは、まさか関係はないだろうが(ここも、本当に軽視されてきたのかという質問があったので、激しかったと本には書いてあるとお答えしておく、中山平次郎九大教授が調査していたころですね)。

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