2006.08.14

[鳥だの森だの]動物の出す音を記録する道具

 動物の中には、音を出す器官を持っていて、季節によっては頻繁に音(鳴き声と呼ばれていることが多い)を出すものがいる。のどのあたりの振動によるものもあるし、翅をこすり合わせて出すものもいる。この音を記録する道具は、私が研究者なりたてのころはオープンリールのテープレコーダーがよく使われていた。Uherとか(たしかNagraとか)の高価なものである。その後、私の印象では、カセットテープレコーダーのあまり安くないものが使われていた短い時期のあと、DATが使われることが多かった。
 鳴き声の記録は、鳴いているかいないかがわかればいいといった目的のときは別として、どんな鳴き声で鳴いているか調べたいときには、圧縮がかかったりするような記録方式では不向きなことが多い。そのため、たとえ、カバーしている周波数があっていたとしても、人間が音楽を録音したりするのに使われるものがそのまま使えるかというとそうはいかないのがむしろ普通である。
 少し前に、SDカードに記録するレコーダー(たとえばEdirolのR-1とかそお後継機種のR-09)が出てきた。なんといっても軽い、そして音質もよいようだ(少なくともスペックで見る限り)。もう、この種が普通なのかもしれない。

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2006.06.30

[統計]GLMM関係の本

 これを載せているココログのシステム不調のときが多かったので、しばらく間があいているうちに、Generalized Linear Models with Random Effects(CRC/Chapmann&Hall)という本が出るそうだ。著者はYoungjo Lee、John A. Nelder、Yudi Pawitanで、とくに後の二人はおなじみの名前だ。
 この出版社の本は安くないので、Manlyの Randomization, Bootstrap and Monte Carlo Methods in Biology, 3rd Ed.なども考えると頭が痛い。

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2006.03.31

[本][統計]The Lady Tasting Tea

 David SalsburgのThe Lady Tasting Tea: How Statistics Revolutionized Science in the Twentieth Century.
W H Freeman、ISBN0716741067(2001年発行、ペーパーバックも出ています)は、あちこちで好評でした。その翻訳が最近出た
 『統計学を拓いた異才たち―経験則から科学へ進展した一世紀』
 著者 サルツブルグ、訳者 竹内 惠行&熊谷 悦生
 日本経済新聞社(ISBN4532351944)
です。
 新潟の紀伊国屋で買って、早速、学会中に読み終えました。やはり日本語だとするする読めて、おもしろさ倍増でした。惜しまれるのは、日本語の題名では原題の風味が失われた感じがすることです。
 統計の知識があまりない人でもおもしろいと思いますが、少し予備知識があればさらにおもしろいでしょう。統計的方法に苦しめられてきた人の頭の整理にも役立つと思います。生物学関係で多少とも統計的方法を使う人、統計的思考は役に立つのではと思っている人には、読む価値が大きいと思います。
 『はー、こんな昔にこんなことをもう考えた人がいるのか』、『やっぱりこんなことは昔から気づかれていたんだ』といった、統計学まわりでの研究者の苦闘と努力と冴えを物語るエピソードがぎゅうぎゅうに入っていますが、全体を通してみると、確率なる概念のただならない厄介さと深さが1つの筋としてあるのがわかります。
 個々の内容などについては別記事で追加します。

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2006.03.28

[学会]生態学会も後半

 生態学会も残すのは後1日、すでに十分疲労している。今夕の野外調査での安全に関する自由集会で、何時何分にどこどこにいなくてはいけない、という”用件”はとりあえず終了した(はずである)。数えてみるとこの学会では、そういう”用件”が10件あったことになる。こんなに多かったのははじめてかもしれない。
 野外調査での安全に関する自由集会では、関野さん、本間さんの、情報量としても多く、まとまった話に対して、次々に会場から意見が出て、しかも前の発言ともつながっていて、鈴木さんが鮮やかにさばく中ですぐに時間が尽きてしまった。大事なポイントを数多く指摘してもらえたので、相当にがんばってメモした。、もれていないといいのだが。
 終わるとすでに20時すぎ、夕食兼飲みに、自由集会参加者で万代に行った。緊張していたのだろう。一転して、”とりあえず日本刀”、とにかくデータを取りまくって量で圧倒する”power ecology”(キャッチフレーズとしては”数は力”でしょうね←もちろん田中派の標語です、Sさんの教示による)といったネタでだいぶ笑った。

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2006.02.03

[鳥だの森だの]マクロレンズ

 10年ほど前にそれまでニコンだった35mmの一眼レフをキャノンに変えた。レンズはそのとき売り払った。その後、同じくキャノンでレンズは変わらないが一眼レフのデジタルカメラになり(変えるとレンズのお金が必要なのでかえられなくなった)、仕事の大部分は、それでやっている。気がついてみると、交換レンズ(大部分は中古)の多くはマクロレンズである。キャノンの50mm(過去)、シグマの50mm、キャノンの100mmUSM、シグマの180mmなどに加えてフォクトレンダー125mmなどである。他にも近接撮影用途には、汎用のヘリコイドを介してEl-Nikkorを各種付けている(とくに紫外線撮影などでは便利、しかも大部分は破格に安い)。もし、マクロレンズ収集家なら、タムロンの90mmとかも買うところだろう。どのデジタル一眼レフでも使える60mmくらいの1:1までのマクロレンズが(安く)キャノンから出ないだろうか。
 もっとも、新しめの高倍率ズームは昔に比べるとかなりの近距離までよくうつる。タムロンの28-300mmで用が足りてしまうことも少なくない。

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2006.01.14

[統計]確率分布でぎょっとする

 ときどき、『なんでこんな確率分布がここに?』と一瞬感じることがある。二項分布の検定でF分布が出てくるときがそうだった。F分布→正規線形モデルというパターンに慣れすぎてしまっていたのだろう、二項分布だから正規分布は出てこなくてもいいはずなのになぜF分布が、と感じてしまった。
 一様分布する変数の対数をとったもののー2倍は、自由度2のカイ2乗分布する、というのも、はじめはぎょっとした。ある確率分布にしたがう変数の関数はどういう確率分布をするか、という確率の教科書などによく載っている(変数変換という名前であることが多い)問題の例題みたいなもので、計算してみれば指数分布になり、その指数分布は自由度2のカイ2乗分布(というより、自由度2のカイ2乗分布が指数分布、と書くべきか)と同じなのだが、指数分布(負の指数分布)とカイ二乗分布がすぐ結びつかなかったのだろう。これも”正規分布病”かもしれない。この一様分布する変数の対数とカイ二乗分布の関係は、有意確率しか使えないときのメタ分析の古典的方法とも言える、R.A.Fisherのcombined probability testで使われている議論と同じである(Fisher自身は「研究者のための統計的方法」に書いている)。

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2006.01.06

[大学]今日から授業

 今日(1月6日)から授業だった。寒かった。人(学生)は(とても)少なかった。

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2005.12.21

[統計]交互作用(その3)

 差でなく比が同じであることが、効果が同じであることを意味するとき、データの対数をとったものを使って分散分析すればいいと思った人は、年配の方々には少なくないだろう。対数をとった後の値が正規分布するような分布を対数正規分布と呼ぶ(初めて聞いたときには逆ではないかと思った)が、平均が大きくなると標準偏差もそれに比例して大きくなる(変動係数が一定だということになる)分布の1つなので(ここで、他の分布をすぐ連想するかどうかは年齢で分かれてしまうかもしれない、ある程度若いと”ガンマ分布だ”とすぐに反応がありそうだ)、「差でなく比に注目」+「対数正規分布」なら、データの対数をとったものを分散分析すれば一挙解決する、いわば”黄金の組み合わせ”に見える。
 だが、対数をとる操作と平均をとる操作は前にも書いたが交換可能ではない。だから、そんなうまい話は陥穽の上のしならない細い棒(綱より渡りにくいらしい)というところである可能性が大きい(あるいは、私が経験したように陥穽そのものか)。さて、データが対数正規分布しているとして、対数をとった後(当然、正規分布)の平均をμ、分散をσ^2としよう。では、もとの、対数をとる前のデータの平均はどうなるだろうか。対数の逆だから指数関数でexp(μ)とは、いかない。平均を取る操作と対数は交換可能ではなかった。対数をとる前のデータの平均はexp(μ+0.5σ^2)である。
 『でも、対数をとったあとの平均がcだけずれていたとすると・・・』とまだ未練が残る人はいるだろう:
対数をとる前のデータの平均はexp(μ+0.5σ^2)と、exp(μ+c+0.5σ^2)だから、その比はexp(c)で一定
→対数をとったあとでの一定の差は、もとのデータの平均の一定の比になる
→「差でなく比に注目」+「対数正規分布」なら、対数をとって解決
というわけである。
 これは、もちろん、実際に、比に注目している場面で対数変換&分散分析はどうかと悩んだ人にとっては、もう少しましな冗談を探せ、といったものだろう。分散分析での悩みの種の1つは不等分散だが、実際には検定して分散に有意な差がなければそれでよしとしているのが普通であろう。1.4倍くらいのちがいなら『分散は似たようなものだった』という反応はごく普通だろうし、2倍(標準偏差なら1.4倍くらい)のちがいでも『大きなちがいはなかった』とほっとしたことのある人もいることだろう。だが、対数正規分布+対数変換の場合、分散分析のときの1.4倍のちがいは、

 exp(μ+0.5σ^2)と、exp(μ+c+0.5σ^2)だから、その比はexp(c)で一定

ではなくて、

 exp(μ+0.5σ^2)と、exp(μ+c+0.5×1.4×σ^2)だから、その比はexp(c+0.2σ^2)で分散に依存して一定ではない

となる。ちがいが有意でなくても、”黄金の組み合わせ”を崩すのには充分である(これには何度はまったことか・・・おかげで自分で確かめるまでは他人の言うことを信じない度合が大きくなった)。

 分散が同じではなくても、比が等しいということは起こるので、まだまだ未練が残る人もいるだろう。私も実際には、もう少し考えてみた(だいぶ、前のことであるが)。条件1のときの処理1と処理2の平均の比と、条件2のときの処理1と処理2の平均の比を、データの対数を取ったものの分散分析の交互作用の検定でみることの妥当性を、対数正規分布という条件で考えてみるわけである。
条件1のときの処理1の場合の対数正規分布が、μ(11)とσ^2(11)
条件1のときの処理2の場合の対数正規分布が、μ(12)とσ^2(12)
条件2のときの処理1の場合の対数正規分布が、μ(21)とσ^2(21)
条件2のときの処理2の場合の対数正規分布が、μ(22)とσ^2(22)

でそれぞれ特徴付けられるとする。もとのデータの平均は、

条件1のときの処理1の場合:exp[μ(11)+0.5σ^2(11)]
条件1のときの処理2の場合:exp[μ(12)+0.5σ^2(12)]
条件2のときの処理1の場合:exp[μ(21)+0.5σ^2(21)]
条件2のときの処理2の場合:exp[μ(22)+0.5σ^2(22)]

だから、条件1と2で、処理1と処理2の平均が等しいとは、

μ(11)+0.5σ^2(11)-μ(12)-0.5σ^2(12)=μ(21)+0.5σ^2(21)-μ(22)-0.5σ^2(22)
ということである。対数変換した後の分散分析の交互作用がないとは、
μ(11)-μ(12)=μ(21)-μ(22)
だから、もう1つ、
σ^2(11)-σ^2(12)=σ^2(21)-σ^2(22)
も成り立たないと、2条件で2つの処理の平均値の比がどうしたとは言えない。分散がこんな関係になっていることもみた仕事というのは見た記憶がない(あったら、教えてください)。

 対数変換については前にも書いた。

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2005.08.30

[その他]仕事の途中

 調査地で調査(私の場合、観察といった方が近いかもしれない)していて、『そうか、こいつらはそういうことをしているのか』(こいつらとは対象生物を指す)とわかった(気になった)とき、目を疑うようなスペクタクルな行動が見られたときなど、”今がほんまじゃ”と感じることがある。
 データを解析しているときの感覚は漱石の「夢十夜」の運慶の回にも似ているが、やはり、”今がほんまじゃ”、”うちの仕事じゃ”と感じることがある。昨夜、その状態が来た。
 ”今やりたいんじゃ”、”うちが選んでやりよる仕事じゃ”ということだけをやらせておけば、私などはもっと時間当たり生産性が高いと思うのだが。

””内は引用なのでこのようなことばになっています[残念ながら自分ではうまく話せません]。

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2005.08.24

[統計]ばらつきを比べる

 データの大小ではなく”ちらばり具合”とか”ばらつき”とか呼ばれるものを比べたいことがある。そういうものを比べるのは、比較的よく出会う場面であり、珍しくはない。だが、”ばらつき”の比較は難物であることも多い。どういう量を使って、”ばらつき”なるものを比較するか、ということは、何も考えなくても決まっているわけでは(全然)ない。よく出てくるのは、分散(つまり平均との差の2乗をすべてのデータで平均したもの、”ばらつき”が大きければ平均から遠くにあるデータが多いだろうというわけだ)、分散の平方根である標準偏差だろう。他にも、標準偏差を平均で割った変動係数を使ったことのある人もいるだろうし、ある程度年齢のいった生態学者なら分散を平均値で割ったもの(index of dispersion、空間分布でおなじみ)が使われているのを見ているだろう。分散と標準偏差の関係はいいとしても、分散と変動係数では、大小が逆になるような2セットのデータを考えるのは容易である。分散と変動係数とindex of dispersionのどれを使って”ばらつき”を評価するかで、いくつかのデータセットのあいだの”ばらつき”の大きさの順番が変わってしまうような例に遭遇することは(扱うデータによっては)珍しくも何ともないーそのうちごまかし集に収録しようと思っていた。この3つのどれを使っても、同じになるようなデータしか憶えていない者は幸せである。
 もちろん、”ばらつき”の意味が量的にはっきりしていれば、どれを使うか(あるいは別の何を使うのか)は明白だろう。意外なことかもしれないが、誰かがきちんと詰めていない限り、ある分野でのある量でどういうものが”ばらつき”の指標としてなぜ適切か、あいまいなことはよくある。データの取り扱いを相談されたときに、この、”ばらつき”の意味が相談する側の本人にもはっきりしないことは、しばしば、沈黙、気まずさ、問題が解決されないままの状態、感謝されない相談された側、をもたらす。人の世に落ちた、増殖する不幸の種子のようだ。
 さて、”ばらつき”の意味が量的にはあいまいなままになっていることが少なくないことにいったん気づいてしまうと、”ばらつき”と口に出すたびに、相手の表情が気になるようになる。相談されて、(私が)あなたの言う”ばらつき”の意味は式やグラフで書けるとしたらどんな感じでしょうか、という意味のことを聞くと、相談者は私が必要な知識を持っていないと判定して話を打ち切ることがよくある。これは私にとっては時間の有効利用かつ新しい小さなテーマの供給なので、長く続く沈黙などに比べるとはるかに大きな利益となる。数年前になるが、”ばらつき”の意味が何なのかが直接問題になる仕事をさせてもらい(reproductive skewというものである)、AmericanNaturalist(変わった名前だが、伝統ある、しかも割合、理屈っぽい雑誌であるー私は大昔の表紙が好きだった)の論文に結実したので、”ばらつき”の意味があいまいなままでそれが研究上現実的な問題にふくらむかすかなにおいは見逃しがたい(あのテーマを私に教えて一緒に取り組んでくれたTさん[沖縄にいる]には感謝の言葉しかない)。

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2005.08.02

[統計]交互作用(その2)

 交互作用の続きである。差でなく割合が同じであることが、効果が同じであることを意味することがそこそこ多いのは、尺度水準が比率(比)であるデータが多いということにもよるだろう。重さ(質量)、長さ、体積などはみな比率尺度だ。その特徴は、定量的でありしかも真のゼロがあって、比が意味を持つ(これが比率尺度の語源だろう)ことである。2つの重さを比べて何倍とか、2つの体積を比べて何分の一とかが、ここで言う比である。
 体重の例で言えば、問題の薬をかけたとき、体重50kgの個体が60kgになり体重200kgの個体が210kgになるのを体重によらず効果が同じ(これは差に注目)と見なすか、体重50kgの個体が20%体重が増えて60kgになり体重200kgの個体も20%増えて240kgになるのを体重によらず効果が同じと見なすか、というのがここでいう、交互作用を差に基づいて定義するか割合により定義するかという問題である。50kgの個体が20%体重が増えて60kgになり200kgの個体も20%増えて240kgになるのを体重によらず効果が同じとするなら、分散分析の交互作用の検定は関係がないのである。
 この項はもう1回続く予定です。

 

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[統計]交互作用

 交互作用(interactionーここで述べるようなときは相互作用と言わないのが普通)の検定はいろいろなところであらわれる。たとえば、ある薬をかけると体が重くなるとしよう。薬の効果は、その薬をかけたとき(実験区ないしは処理区)とかけないとき(対照区)の体重を比べればよい。では、他の条件がちがっても薬の効果は同じだろうかーというのが、交互作用の説明でもよく出てくる(たぶん)もっとも単純な場合である。たとえば、餌をたくさん与えているときと、餌を少ししか与えていないときでは、薬の効果は同じだろうか、といった問題である。この例での餌の多い少ないのような、薬以外の条件が異なると、薬の効果が異なることを交互作用があると言っている。交互作用は、ある要因の効果が、他の要因によってことなるかどうかを、問題にしているので、最低でも4通りの実験処理の組み合わせが出てくるのが普通である、上の例だと、餌が多くて薬あり、餌が多くて薬なし、餌が少なくて薬あり、餌が少なくて薬なし、である。
 交互作用の検定といえば、分散分析(ANOVA)を連想する人も多いだろう。他のは知らないという人も結構いるかもしれない。実際、交互作用の検定の大部分は(分野とテーマにもよるが)分散分析で行われてきた。分散分析の、説明変数と目的変数の期待値のあいだの関係式(回帰式だと思ってもらってもよい)は一次式で(だから)、交互作用がないとは、実験区と対照区のが他の要因によって変わらないことである。薬と体重の例なら、(薬ありの体重マイナス薬なしの体重)が餌が多いときも少ないときも同じだということである。分散が等しいかとか正規分布しているかといった問題は実際検定しようとすればいろいろあるが、分散分析での交互作用がないことの定義についてはとくに難しいこともなく、入門的教科書にもよく読むと書いてあることが多い。
 ところで、研究者が”○○の効果が同じである”というときには、差ではなくて割合が等しいことを意味していることも多い。体重の例なら、餌条件によらず、体重を対照区に比べて同じ割合(たとえば10%)増やすことを、”効果が同じ”と考えていることも多い。当たり前だが、そんなときには、分散分析の交互作用の検定は関係がない。
 ”処理の効果が同じ”というのが差ではなくて割合が同じであることを意味していることが多いのは、あまり意外ではないだろう。分散分析で交互作用がないとは差が同じであることもよく知られたといってもよさそうな知識である。だが、両者を掛け合わせると意外にもあまり当たり前ではなくなるようだ。ちょっと(1週間くらい)前からふと、過去(とくに一般化線形モデルがほとんどつかわれない、”正規分布帝国時代”)の論文を見ると、割合を問題にすべきだろうと思えるのに分散分析の交互作用の検定をしている例がごろごろ見つかった。
 差が等しいのと割合が等しいのが同じことを意味するためには、たとえば処理区の体重がまったく同じでなければいけない。少しの差ならあまりたいしたことはないように思えるかもしれないが、実際に計算してみると(もちろん個々の実例によってちがうが)、割合で行くか差で行くかではけっこうちがうことが多い。自分の分野や研究テーマの論文でもチェックしてみると、おおっ、と思うような例に行き当たる可能性は決して小さくない。ご自分では発表ないし指摘できない(しにくい)という方は、私に教えてください。
 この話題はたぶんあと2回くらい続きます。

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2005.06.24

[統計]速くなった計算機のご利益ーパラメトリック・ブートストラップの場合

 計算機が速くなった(速い状態から始まった人には速くなった実感など無いだろうが)ことがよくわかる実例はいろいろあるが、パラメトリック・ブートストラップ(前にも少しふれた)はその最たるものだろう。名前こそブートストラップだが、あまり元祖ブートストラップには似ていないと思う。パラメトリック・ブートストラップの理由付けは、検定とはこういうもの、ということがおおざっぱにわかっていれば一直線のわかりやすさであろう。それでいて使用可能範囲はかなり広いので、”伝家の宝刀”的に使えるときも多い。5年くらい前からの修士課程の授業では必ず話すようにしている。
 2つの確率モデル(モデル1と2とする)を最尤法であてはめ、それぞれのパラメーターを推定し、最大尤度を求めておく。最尤推定したので、そのパラメーター値を持つモデル1は、データにもっともよくあっているモデル1だと考えていいだろう。また、モデル1とモデル2の、そのデータでの最大対数尤度の差は、どちらのモデルがデータによくあっているかを示している量だと見ることができるだろう。データで最尤推定したパラメーター値のモデル1を使って、(乱数で)データと同じサイズのデータを作る。この作った(モンテカルロ的に作った)データもどきにまたモデル1とモデル2を最尤法であてはめ、最大対数尤度を求める。2つのモデルの最大対数尤度の差をデータのそれとくらべてやる。データがモデル1はあまりあっておらずモデル2には非常によくあっているなら、データの(モデル2の最大対数尤度-モデル1の最大対数尤度)は、モデル1で作ったデータもどきの(モデル2の最大対数尤度-モデル1の最大対数尤度)よりも大きくなりやすいだろう。データもどき生成を多数回(10000回とか)やって、両モデルの最大対数尤度の差の分布(モデル1が正しいときの、ということになる)をデータのそれとくらべてみれば検定できる、というわけである。大切なのは毎回、最尤推定することである。もとのデータとデータもどきは同じではないし、データもどきは毎回ちがう。データから最尤推定したパラメーター値のモデル1の、データもどきでの、最大対数尤度を求めるのではなく、毎回、モデル1を最尤法であてはめる。
  両モデルの最大対数尤度の差を検定統計量のようにみなすのも素直だし、モデル1で生成したデータもどきは帰無仮説が正しいとき、と同じである。尤度と検定がだいたいわかっていると、かなり直感にもうったえて、わかりやすいように思う。
 最初は、離散量でサンプルサイズがあまり大きくないときに使い始めたが、相当な威力だと思う。確率モデルがないとだめではあるが。

 10000回データもどきを生成すると、最尤推定を20002回もすることになるので、非線形の最大化1つでひいひい言っていたのでは話にならない、計算量だ。(この項、続く予定)
 

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2005.06.22

[進化]血縁選択・・・

 講義の準備をしていて、ふと血縁度と協同的性質の関係の説明のバリエーションを思いついた気になり(核とミトコンドリアが出てきたのに反応して思いついた気になったので、反応経路はよくわからない)、何を考えたのか、Hamilton(W.D.Hamilton)の論文集「Narrow Roads of Gene Land」を開いてしまった。1964年の血縁選択の論文を4年生からM1にかけて読んだ記憶が文章の難しさとともによみがえって、ぞっとした。読み返したがやはりむずかしく、Charnovがどこかにdifficult to followと書いていたのを思い出す。あとでMichodとHamiltonの論文を読んだときには救われた気がした(さらにGrafenの秤を見たときには救われる人がたくさんいるだろうと思った)ことも思い出したが。Hamiltonは、Fisherの統計論文ともども読み直してみようと思っているのだが、1964年の論文を見るたびにそこで中止になっている。
 Hamiltonの論文集のタイトルは確か、奥の細道にちなんだものだった。”ちはやぶる奥の細道”だと何と訳されるのだろうか。

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2005.06.19

[統計]計算してみる

 1980年代になったかならないころ、パソコンとしてはまだPC-8801も出回ってはいなかったころの話である。ノンパラメトリック検定があまりポピュラーではなく、Mann-WhitneyのU検定をしたら上級生に、変わった検定をするわけを聞かれたのも、この頃だった。
 自分の研究のうえで、カーブに対して、ある点を通る接線を引き、その接点の座標を求めなければいけないことになった。1つ求めればいいのなら、しゃかしゃかと手計算でもできたのだが、いろいろな点について求めなければいけなかった。当時、私が大学院生で所属していた研究室の助手Tさんが研究費(たしか科研費)で購入したパソコンを使わせてもらって計算した。メモリーが数10キロバイト(確かはじめは16キロバイトだったと思う)、プログラム言語はBASIC(しかも構造化はほとんどなく行番号付きーQuickBASICだのMS-BASICだのとはまったく別言語と思ったほうがいいだろう)とアセンブラ(Z80)だった。Tさんの部屋に、出力用紙が山のように出た(夜に走らせて帰ったら、大量に出力されてしまった)など迷惑もたくさんかけてしまった。しばらくしてフロッピードライブが付いた(本体よりも高かった)ときは、なんと便利なものが、と驚いた。
 このコンピューターは、計算してしまえば結構わかるもんだ、という観念を私に植え付けた。私はその研究室に5年半いて(もっといるだろうとずっと思っていたーもっとも5年半の最後の約半年は別の大学の研究室に週に何回か行っていた)、別の大学の助手に就職して移ったのだが、就職先の寒い大学で(ここで50cm以上の積雪を経験)、よく教科書に載っている統計的な検定はその通りになるのか、生態学ではよく出会うがどうも教科書にあるような仮定を満たしていない場合など、次々計算してみた。就職してしばらく(とくに10月から行ったので最初の半年)は研究費も個人的にも金欠(これほどの金欠はその後は一回しかない)で、別の研究室のKb教授がパソコンを使わせてくれたのは本当に助かった(好意に甘えてその後もお世話になってしまった)。このころにはパソコンはおもにNECのPC-98シリーズになっていた(”国民機”とか言われていたと思う)。この頃、疑問に思ったことの中にはまだ解決できていないものがいくつかある。乱数発生のルーチンの大切さを思い知らされたのもこの頃(1980年代なかば)だった。

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2005.06.14

[大学]助手が助教に

 助教授准教授に名前を変え、助手を助教(新設)と助手に分けるという、教員組織の変更は、あれれという間にどんどん進んでいた。もう衆議院の委員会(文部科学委員会)を先週末にとくに修正も無く(付帯決議はついている)通っていた
 ただ名前をかえるだけということではないようだ。新しい助手がいわゆる”行き止まり”の職になるおそれは濃厚だし、助教だというだけで任期付きにできるようだ。国会にかかっている法律案の名前は、学校教育法の一部改正案なのだが、条文を見ると、他の多くの法案の改正もセットになっていて、その中に任期制法の改正もある。これまで、いろいろ法律上の制限があっても、包括的に任期制にしているところもあるのだから、助教なら任期付きにしていいとなると、どどっと広がりそうな気がする。
 労働組合方面のサイトでも、一部しかこのことは扱っていないようだ。とりあえずこことかこことか載っているところからたぐってみた。
 

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2005.06.07

[統計]計算機の速さ

 30年前に多くの大学院生や大学生(いわゆる理系)が普通に持っている計算機の能力はおそろしいほど低く、計算には忘れたいくらい時間がかかった。まだ、ときどき(お金の計算に)使う関数電卓(死語か?)は、統計計算もできますというふれこみなのだが、平均、分散、標準偏差などが求められるだけで、データに順位をつけることはできない。平均と分散(ということは標準偏差も)を計算するには、データの合計、データの二乗の合計、データの個数という3つの記憶場所(変数)があればよい。2つの量の間の相関でも5つあればよい。ところが順位をつけるときには、そうはいかない。ノンパラメトリック検定が普通になりだしたのはおそらく、”パソコン”(パーコンと略されないのが不思議)の普及があってこそだろう。
 尤度を扱うと非線形の最大化のための繰り返し計算(聞きにいった工学系の授業で最急降下とケージングを知ったときはそんなこともわかっているのかと感心した)はつきものだが、データを記憶しておかないと計算できないから、30年前くらいだとほとんどの人にとって日常的に手の届くところにある計算力では無理だった。

 多くの人が使える計算機の速さはまるで”全能の舞台監督”のように、”普通に使われる統計的方法”を変えてきた。数十のサンプルサイズの単純なランダマイゼーション検定を、計算量が大きいからできない、と本に書いてあったりしたのはそんなに昔のことではない。パラメトリック・ブートストラップをいま別のパソコンがやっているが、さらにはある状況でパラメトリック・ブ-トストラップがうまく機能するかどうかをシミュレーションで調べること、などはちょっと前までは、単なる夢だった。


 それにしても、他のサイトはとくに遅くはないのに、このココログのサイトは遅い。
ログイン画面が出るのに2分
ログインして自分のところが表示されるまで4分
保存をクリックして、”反映中”が出るのに約2分
そして”反映中”は5分たっても終わらずに、
そのままになってしまった。
といつにもまして遅い。
いつもは、その半分くらいなので今日はひどい。

こうなると、このサイトでは、いったんブラウザーをとめて、再度試してもまず無駄である。

 ちゃんと書き換えられた状態で保存されているのか、非常に不安だ。検索をかけてみると、ココログは遅いそうで、ココログを使っているのはボケ、というようなページがいろいあることがわかる(googleの速さーとくにいつもと変わらないのだがーが爽快)。

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[統計]生物と統計と基礎

 生物学者に統計というと、しばらく前までは、t検定に分散分析、回帰に相関係数(r)、分割表のカイ2乗検定というところが基本だったと思う。1980年代くらいには、これにU検定やWilcoxonの符号化順位検定、順位相関係数といったノンパラメトリックな検定が付け加わった。
 今はどうだろうか。もし、基本として1つだけ選ぶとしたら、尤度ではないだろうか(1つだけという設定がかなり無理なので他のものを選ぶ人もいるだろうが)。それほど実際のデータの解析で尤度や最尤法の登場頻度は高い。いま、”生物統計学”といった授業で実際にデータ解析に使われることを想定して教えるなら(学部3年生後半から4年生くらいを想定)、尤度、最尤法、一般化線形モデル(GLM)を抜かすわけにはいかないと思う(そろそろベイズ統計もそうなりつつあるように思う)。尤度、最尤法、一般化線形モデルに授業で得た予備知識なしに出会うのでは、論文を読む学生や将来の院生がかわいそうだー悪意(か未必の故意)を疑われてもしかたがない。院生には吸収力と自己消化力がかなり高い人が相当数含まれているので、教えないと研究のダムとなってせきとめているようなものだ(”決壊”した時にはさんざん言われるわけだし、教えているとだんだんよくわかってくるので自分の頭を回転させるのにも役立つ)。
 ”生物統計”と直接・間接に銘打った教科書はかなりあり、1つの山地をなしているので、日本語でのGLMや最尤法で一貫した生物統計教科書や、95%くらいベイズ統計という生物統計教科書(のこりの約5%はベイズ以外もありますという説明)がそろそろあってもいいと思う。
 さて、どうして、こんなに”統計の基本”が変わってきたのだろう。1つの大きな原因は、あまりに物質的だが計算機の速度である。コンピューターで計算することを禁止し電卓のメモリー数を10くらいまでに制限してしまえば[非線形の最大化ができるようなものは御禁制の品]、ノンパラメトリック検定普及期以前に戻れるだろう。ひとによっては、”古き良き時代”を回想しノスタルジアにうちふるえるかもしれない。私は、100を越える点のある散布図をロットリングで描くのは”苦役”だと思うので、古き良き時代だとは思わない。(続く)

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2005.05.27

[学会]学会での企画ー人形劇の場合

 昨冬(もう半年経ったことになる)、学会の大会をお世話したとき[と一見えらそうに書いているが、私はお世話した人々の一人である、という意味]、いろいろ企画を考えたが、いずれもシンポジウムみたいなもので、内容以外は変わったものではない。
 私は、他の人に比べて、学会での変わった企画のアイデアを口走ったときに、実行確率を高く見積もっていただいているようだ。おそらく、15年ほど前に、私がよく参加する学会の中では大きめの学会で人形劇をやったことがその原因だろう。いわゆる学会のえらい人の人形が登場する人形劇だった。まだ、今の職場に転勤してくる前だ。
 発端は、泊りがけの研究会の夜、酒を飲みながら、人形劇なんて面白いんだと言ったことだった。「●●は面白いんだけどいつも言うだけ」といわれて(●●は私の姓が入る)引っ込みがつかなくなり(中略)やることになった。実際やってみると、学会に出かけるときの気分がちがう。適当な形容のことばを思いつかないのだが、”すがすがしい緊張感”というと多少近い。学会の風景がちがって見え、こんなに多くの人が自分を知っていたのかと思うことは請け合いである。準備のとき、たとえば、観客(参加者のこと)に配るパンフレットを作っているときなどのわくわくとしか言いようの無い気分は、自分が普段は学会に慣れてどうも気分が盛り上がっていないことを痛感させるものだった。
 シンポジウムで話す前などに、”ここまで言っていいのだろうか”といったことを考えることがあるだろう。人形劇をしたことは、そういう不安やためらいや恐怖の源を速く見定めるのにも、その後役立っている気がする。
 やる前にいろいろ考えたので、とくに”やってしまった・・・”というような気持になったことはないのだが、その後、人形たちの出番があまりないのが残念だ。
 ちなみに、この人形劇は、その学会で系統樹作成ソフト(人形劇では研究者の系統関係用にMacCladeを使った)を使った発表としてはかなり早い時期のものである。

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2005.05.21

[大学]助手→助教(と助手)

 大学の教員の職名は、教授、助教授、講師、助手となっていることは、大学関係者(とくに教員自身)はよく知っていることだろう。これを、助教授を准教授にし、助手を分割して助教(新設)と助手にする法案が今の国会に提出されているのだが、私はそこまで進んでいるとはまったく気づいていなかった。現在の助手は「教授及び助教授の職務を助ける」と法律に定められているが、多くのところで実際とも必要性とも離れているように思う。
 この法律案が、文部科学省の中央教育審議会の分科会の検討委員会というところで検討されている様子のあらましは、文部科学省のウェブサイトでもわかる。新設される助教(たしか戦前に教員資格をもっていない代用教員をそう呼んでいたのではなかったか?)に対して認める独立性がみるみる低下していくのがわかる。[ここから、大学の教員組織の在り方に関する検討委員会のところを参照]
 『若手研究者が全て独立してしまうということがいいことなのか、ということも考えなくてはならない。これから伸びようとする若手研究者を助手として独立させるとその助手は伸びない。』といった意見も検討委員会で出ていて、繰り返し読んでしまった。『実績がないためにテナントが余り取れないときに教授や助教授からテナントも分けてもらって、そのあいまに大学院生の指導も少しやりながら、』といった箇所[原文こちら]では、テナントが何を指すのか、頭をかかえた。さらっと読むと研究資金とか設備なども含めた研究資源のことを指しているような気がするのだが、普通、貸店舗やそれを借りている人をテナントといっているだろう。
 分野によっては、大学院生やポスドクのことをテナントと言っているのだろうか。どなたか教えてください。

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2005.04.08

[統計]モデル選択と検定余話

 3月末の生態学会で行なった、表記の内容の自由集会では、モデル選択と検定を混ぜて使うことがかなり浸透していること、混ぜ方の中にはすぐには感覚的な正当化も思いつかないものもあることなどを実感した。「うるさいな、検定して有意だったんだから、確かなんだ。多重検定だからだめだとかモデル選択のほうが適しているとか言うな」といった反応に備えていったのに、ほとんど後の先の機会がなくて拍子抜けだった。
 いくつか宿題も残ったークロスバリデーションの使い方など。他にもいくつか考えておかないといけないことがあることもわかった。あまり単純ではないリサンプリング、そんなに単純ではない確率モデルと尤度の需要(と受容)がかなりあることも実感できた。
 学会から戻ってみると、余震は来るし、大学の建物は、余震でだんだんと大きくなるひびなどあちこち細かく破損している(だんだんと破損しやすい場所のパターンが見えてきたような気がする)。こんなにぼろくなっちゃって。建物の方から見ると、法人化および付随現象に疲れた教員にそう言いたいところかもしれない。

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2005.03.15

[統計]対数変換

 観察(観測)の結果、得たデータがどうも分析方法の”要求”にあわないため、データの何らかの関数をデータの代わりに分析することはわりと多く行われている(もちろんどんな関数でもいいわけではない。ある関数がある現象に使われ始めたときはたいてい理由があるのだが、ときには理由が忘れられ慣性で持続していることがあるーその狭い分野の外部の人から見ると呪文化していることになる)。
 データの何らかの関数をデータの代わりに使う方法を、変数変換といい、生物関係だともっとも多いのはデータの対数を使う対数変換だろう(他にも私の仕事の種でもある角度変換=逆正弦平方根変換などあり)。この対数変換というものはそれほど扱いやすくはない。なお、対数は正の値でないととれないから、以下は全部正の値の話である。
 対数にしてもそのままでも大小は変わらない。つまりx>yならlog(x)>log(y)である。これは対数関数が単調増加だから当たり前である。では、平均についても同じことが言えるだろうか。たとえば、同じ個数のデータが2組あって、1組目の平均>2組目の平均なら、1組目のデータの対数の平均>2組目のデータの対数の平均であろうか。
 もちろんそうとは限らない。”そんなはずない、対数をとっても不等号の向きは変わらないんだぞ”(実際に私より年配の方からそう言われたことがある)と言われる方は以下の例をどうぞ。
 10個で1組のデータを2組準備しよう。片方は(1,1,1,1,1,1,1,1,1,1000)つまり1が9つで1000が1つ、もう片方は(10,10,10,10,10,100,100,100,100,100)つまり10が5つで100が5つ、である。対数をとらない、ときの平均はいうまでもなく最初の組のほうが大きい。対数をとったときはどうなるだろうか。最初の組は0が9つで3が1である。2番目の組は、1が5つで2が5つである。最初の組のほうがだいぶ小さい。
 これを、お金だと思ってほしい。私が10円玉5枚と100円玉5枚を準備するので、1円玉9枚と何らかのお金1つ(金塊や小切手でもいいものとする)を対数をとった後での平均が私のほうと同じに(あるいは私のほうより大きくても良い)なるように準備していただく。そして、私の用意した10円玉5枚&100円玉5枚と交換すると、対数変換が実感できてよいわけである。私は「10円玉5枚&100円玉5枚」の側を用意するので、どなたでも挑戦してください(国立大学法人の非役員教員が挑戦するという場合には支払能力の証明を先にお願いしますーそうでないと無意味だから。その際、国立大学法人での生涯賃金の計算はほとんど意味がないので、他の資産や収入に関するものだけで結構です)。
 この例は、いろいろ複雑な修飾物がついていないのでデータ解析的リアリティーはないが、多少わかりやすいだろう。ばらつきが重要なわけである。もっと飾りがいろいろついたリアリティーのある例は、久保拓弥さん(北大)が『生物科学』という雑誌に書いている。

 ここでの例は常用対数にした。自然科学では自然対数のほうがずっと普通である。ただ、自然対数にしても例としての意味はほとんど変わらない。
 
 

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[統計]威力のあるごまかし

 統計的方法にまつわるごまかしの種類は多い。しばらく前に、本の一部に、統計的ごまかしの方法の短いリストをのせたことがある。ただ、いろいろな状況で使用可能でもっと威力のあるごまかしがある。それは、ブロックや層別因子(あるいは共変量)を隠すことである。これほど、適用範囲が広くて、しかも大きな効果があるごまかしもそうはないだろう。
 ということは、ブロックなどを取り入れるかそうしないかによって検定などの結果は大きく変わりうる。ブロックや層別因子(あるいは共変量)を認識することは実際の効果も大きい、重要な技術だということである。
 (ごまかしの方ではなく)その重要性をものがたる例が、柳川先生の『離散多変量データの解析』(共立出版)にある。

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2005.03.14

[統計]ばらつきを忘れる

 ひとによっては、統計的方法とはかなりあちこちに落とし穴のある、意地の悪いものと感じるかもしれない。落とし穴の中でも相当の一般性があるのが、”ばらつきの忘却”だろう。統計的方法で扱う各種の量の多くは、数学的には確率変数であり、Xといっても、たとえば3とか5.25とか決まった1つの値ではなく、確率0.22で3.11で確率0.19で3.23・・・(以下略)といった、ある確率である値をとるものである。別の言い方をすれば、ある1つの決まった値ではなく、ある値の回りにばらついている。ばらつきの定量的な指標の1つである分散(variance)を使って、さらに言い換えると、分散が0ではない、ということになる。
 だが、このばらつきがあることは、どうも忘れやすいらしい(統計の初歩を習ったら身についていなければいけないことだと、確かファインマンが言っていたと思うが)。ばらつきの存在を忘れたための誤りは数多い。分散や確率分布を考えずに、あたかもばらつきのない決まった値であるかのように扱うと、陥穽はほら、すぐ足の下である。

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2005.03.13

[統計]統計的方法といわれなき作法

 統計的方法は、実際にそれが使われている局面を毎日のように見ていると不遇だなあ、と思う。もし、統計的方法が人だったら、世間の無理解につつまれた人だろう。自分が理解されないので発狂するとかいう小説にしても、今だと陳腐でつまらないとされそうだ。
 そうでない時や所もないとは言わないが、あからさまに書けば、統計的な分析の意味や中味ははっきり言って関係なく、見た目がそれらしくて文句がつかなければいい、と人が思っていることが誤解の余地なくわかってしまうことはあまりに多い。そういう場面に出会った人は決して少なくないだろう。私に対してそう公言して、ノート(いわゆるdeath noteではもちろんない)に記録させていただいた人は数多い。

 不遇な統計的方法のことを考えると、自動車学校(地域により、自校と略したり車学と略したりするのはなぜだ?)に普通免許取得のために行っていたころの指導員の一人を思い出す。右折のときの動作とその順番の理由を聞いた私に対して、日本舞踊の初歩を習っているつもりになれ、と言った。なぜそうするのか、さらに聞くと、検定でパスするためであると、教えてくれた(この検定は統計的方法ではありません)。この指導員は、
高速の本線に入るときは思いっきり加速してみろ、右折待ちのとき、車体を斜めにするな
急ブレーキはペダルを蹴飛ばす気で踏め(とくにABSありなら)
などいろいろ有益なことを教えてくれた。

 さて、”統計なんてのはお作法です”とか”検定は形が整っていればいいんです”、”データはともかく有意差を出してください”とか言われても、相手との力関係ゆえに言うのはおそろしい(不安ではなく恐怖)ということもあるだろう。
相手が学問外的力を充分持っていて、逆襲が怖いが素材は充分おもしろくかつひどいなら、私に知らせるとよい。
もし気が向いたら、ここか現在書いている回顧録その2のネタにするから。私が書く程度ではたかが知れているが、次第に知れ渡って人が寄せ集まると、拓峰という感じのこともあるかもしれない。

※回顧録その1は、前任地でのできごとを記したもので、前任地の転任(いわゆる割愛承認の会議席上)のとき、将来の公表をお約束しました。

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2005.03.10

[機材]集団遺伝学の本

 研究が進化とかかわりをもつと、集団遺伝学(population genetics)の勉強はまず欠かせない。研究の中心的な関心は、たとえば生態学的なものだったとしても、である。集団遺伝学の教科書は膨大というほどではないが、いくつもある。Hartlのいくつかの教科書、頼りになるCrow&Kimuraなどをすぐ思いつく。私自身が勉強して役立ったのは、NagylakiのSelection in One- And Two-Locus Systemsだった(この本で勉強したという他人にはあまり遭遇しない)。
 今ではcoalescenceに触れていないと、入門書としても不足かもしれない。GillespieのPopulation Geneticsの2版は新しいし、コンパクトで、集団遺伝学そのものを研究対象としていない人も含めて多くの人に適しているかもしれない。
 集団遺伝学における統計的な取り扱いの教科書についてはまた別に。

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2005.02.10

[統計]Mann-WhitneyのU検定と不等分散

以前、別のサイトに掲載していたものを書き直したものです(どこかに移してしまおうと計画していましたがようやく移しました)。

発端

 Mann-WhitneyのU検定(Wilcoxonの順位和検定)は独立な2標本を比較するノンパラメトリック検定の1つです。たぶん、もっとも使用頻度の高いノンパラメトリック検定でしょう。だいぶ前になりますが、不等分散のときにMann-WhitneyのU検定を使っている例がかなりあることに気がつきました。

問題

 しかし、Mann-WhitneyのU検定は帰無仮説での検定統計量の分布を求めるときに、2標本が同じ母集団からサンプリングされたと仮定しています。、U統計量の分布は、2標本がサンプリングされる母集団の分散が異なるときと同じ母集団からサンプリングされたとき(後者の場合がU検定用の表になっています)とはちがいます。1つの母集団は1つの分散しか持ちえません。そこで、Mann-WhitneyのU検定は等分散を仮定していることがわかります。しかも、等分散でないことは検定結果に影響を与えます。このことは、統計の本ではかなり前から言われています(たとえばSiegelの教科書など)。しかし、不等分散のときに好んでU検定を使っている例がかなりあるようです。
 下記の論文を書きました。「えっ、ノンパラメトリック検定なのに不等分散が影響するの?」(←ギャグではなく実際に聞いた)、とか、「本当かよ?信じられない」、とか、「どうすればいいの」とかいう方はそちらをごらんください。

Kasuya, E.(2001) Mann-Whitney U test when variances are unequal. Animal Behaviour,61:1247-1249.

上記「」内のようなご質問にはお答えしておりません。

不等分散と等分散

 こういう場合、不等分散と等分散ということばの意味は、標本分散がちがうことでも、標本分散に有意な差があることでも(直接的には)ありません。母分散がちがうことを指します。これはt検定などの場合も同じです。実は不等分散のときにU検定を使うと起こることは、定性的には不等分散のときに普通のt検定を強行したときの症状とよく似ています。

他の検定

 すぐに同じことが起こるとわかるのは、Mann-WhitneyのU検定の多標本版である Kruskal-Wallisの検定です。

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2005.02.06

[統計]ノンパラメトリクスと分散

 統計的方法にノンパラメトリクスと呼ばれる一群がある。多くの人に好まれている4文字略語では、「ノンパラ」となる。統計的方法には、”こういうときに使うために考えました”という、取扱説明書にある正しい使い方みたいなものがほとんど必ずあって、仮定と呼ばれている。そこから、外れても、わりと大丈夫なことをrobustとよぶわけである。
 20年ほど前(大学によってはもっと後でも)までは、正規分布&等分散という仮定をしている方法(t検定とか分散分析とか直線回帰とか)を中心に教えるのが普通だった。だが、世の中そんなデータばかりではないーどころかそうではない方がたぶんずっと多い。そこで、分布の形についてとくに仮定しないノンパラメトリクスがよく使われるようになったのだろう。
 分布の形についてとくに仮定しないのだから、ノンパラメトリクスならくらべるものの分散がちがってもいいのだろう、というようなことを言っている人が意外に多いことに気づいたのは、かなり前になる。ノンパラメトリクスの検定の理屈そのものは驚くほどシンプルで、統計の入門書にも載っていることが少なくない。それを理解していれば、ノンパラメトリクスのかなりの部分(U検定とか)は、不等分散のときはうまくないということがあまりに明白だ。
 数理統計学の本ではなく、ユーザー向けの統計の本でも、不等分散がまずいということは書いてあることが少なくない。Siegelと言う統計学者の、行動科学向けの統計の本は、やや古典的なベストセラーである。この本には、1節使って書いてある。
 いまでもときどき新しい論文で”分散がちがうので、ノンパラメトリクスにしました”というような記述を見ると、ギャグとは言え論文にこの手のまちがいを書くのはよくないと感じる。Siegelの本のような、入門的代表的教科書にもあることで、逆のことを論文に書くのは普通ではないから、そこに暗い情念を感じてしまう。著者はきっと、この論文の結果は信じてはいけませんよ、といっているのだろう。あるいは、著者はeditorのうらみを買っているのかもしれない。論文に”なんだこりゃ”という記述を見つけても、著者が誰かを気にすることはあっても、editorが誰かを気に留める人は少ないからだ。
 U検定の理屈を理解している人にとっては蛇足だが、同じように考えるとランダマイゼーション検定にも不等分散の時にはまずいものがかなりあることがわかるーこれについてはまた別の機会に。

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[機材]夢の自動車

 自動車を買うときにお金のことを気にしないような身分ではないが、もしそうだったらと夢想することはたまにある。子供のころ、ランチァのストラトスがほしかった。その後、ビアシオン(ミキ)の乗っていたフォードエスコートRS(こんなものは買えないでしょうが)がほしいと思ったり、まだプロトタイプが出ていたころの三菱パジェロ(こっちも売っているパジェロとは名前と外観が似ているだけのようですが)がほしいと思ったこともある。市販しているものだと、しばらく前から、誰かが後腐れなく買ってくれるならフェラーリモデナと言ってきたが、実は結構横幅が広くてもしあっても下手をすると私の立ち回り先では停めるところにこまるのに気づいた。M5(BMW)やRS6(アウディ)もいいかもしれない。でもGT2(ポルシェ)ということになりそうだ。誰かがくれることなどないのだから、車幅とか最低地上高とか気にしてもしかたがないのだが。

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2004.09.25

[学会大会も終わり・・・]

「とある学会」の大会も一応終わり(目算ちがいはいくつかあったが深刻なダメージは受けずにすんだ)、サイトタイトルも話題も変えます。今回の「とある学会」の話題は順次この場所からは削り、いずれ別サイトにまとめる予定です。
 学会大会の準備は、温泉でやるとかいった妄想が湧いたために少々出遅れました。
(イメージ1)温泉街の建物を1つ借り、そこにポスターを展示する。参加者は近くの温泉旅館にそれぞれ泊まり、三々五々、ポスターを見に行く。疲れたら宿に帰って入浴。あるは他の宿で入浴。ポスター会場としては、旅館1軒貸し切りもいいし、ポスター会場には廃業したパチンコ屋なんて最適かもしれません。
(イメージ2)実はこっちが先。超大浴場付き温泉ホテルを1つ貸切り、そこにビニールコートしたポスターを展示する。
といったことを考えてしまったのでした。

 今後、内容は、研究用・非研究用の機材の話おもに生物関係のデータを解析する統計的方法の話が中心になる予定です。

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[学会]懇親会ー人数と費用

 あちこちの学会の懇親会に出ていると、いくつかのやり方があることに気が付く。分け方にもいろいろあるが、個々の参加者の支払い金額ではなく懇親会なる宴会の総費用の決まり方で大ざっぱに分けると、場所代と料理代と飲み物代を支払うので参加人数と総費用は直接関係ない場合と、1人あたりいくらで宴会場と契約しているので(変わった追加注文でもない限り)人数と総費用が比例する場合がある。
 今回の(12月上旬)学会の懇親会は、後者の方式である。場所は福岡市の中心的な繁華街に近い店(人数が入れるところをさがしたー実際に探すのに貢献したのはもちろん私ではない担当者)である。いろいろ聞いてみると評判もなかなかよいようだ。2次会ができる場所や多くの人の宿にも近い(これは懇親会の場所として割合、重要だと思う)。
 さて人数と総費用が比例する方式の長所は、極端な食べ物などの不足を招くリスクが少ないことである。ときに始まった直後から食物不足に陥る懇親会が見られるが、空腹とともに「もとがとれない」という悔恨が訪れるのはつらい。話題がそれだけになってしまう。
 今回の懇親会についてさらに詳しい情報はおって提供する。

と書いたのだが、追加情報を提供せず、12月に懇親会をすでに迎えてしまった。
 幸い好評(主観的評価では、”圧倒的好評”)だったと思うのでご容赦ください。

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