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2015.05.19

伊藤さん(先生)のこと

 伊藤嘉昭さんが15日になくなられた。85歳だった。(沖縄タイムスのサイト、時事通信のサイト [沖縄タイムスの方がずっと詳しい])
 学会(日本動物行動学会と個体群生態学会)の会長をした、あるいは、生態学などについてのいくつもの本を書いた、大学の教授だった(名古屋大学と沖縄大学、また名古屋大学の名誉教授だった)ということについては、インターネット上にもいろいろ書いたものが出ると思う。伊藤さんははっきりした個性の持ち主(今で言えば”キャラ立ち”)と多くの人が認めていて、多くの印象的な出来事がそのまわりでは起こった。『楽しき挑戦』(海游舎)や『一生態学徒の農学遍歴』といった自伝的な本(読み物としておもしろいと思います)で、うかがえる。
 
 伊藤さんは、私が学生・大学院生のときの指導教官(そのときはそういう呼び方だった)だった。伊藤さんと出会わなければ、私が職業的な研究者としてやっていくことになった確率はかなり小さかったと思う。しかし、研究室で一緒だった期間はあまり長くはない。私が4年生の途中(たぶん6月頃だっただろうか)に伊藤さんが沖縄から着任し、私がD3の9月いっぱいで新潟大学に就職するため研究室を去ったので、5年間と少しである。しかも、私はD2の終わりごろからはあまり研究室に行かなかった(別の研究機関に技術習得と新たなテーマのためにおもに行っていた)ので、実質はさらに短くなる。学生や大学院生のときの指導教員を先生を付けて呼ぶことは珍しくもなんともないと思うが、「伊藤先生」と(私が)呼ぶのは伊藤さんには好まれていなかった。タイトルが『伊藤さん(先生)のこと』になっているのはそのためである。「伊藤先生」と呼ぶと怒られそうな気が今でもする。師匠とか弟子とかいうことばで、指導教員と指導される学生や院生の関係を形容して、怒られたことも何度かある(そこに見え隠れする”粕谷の心構え”を、しみじみと批判されたこともある)。
 伊藤さんと私は、その時の標準で考えても(たぶん、今でも)、おそらくは少数派に属する、指導教員と指導される院生の関係だったと思う。わかりやすいのは、私が修士論文を書いたすぐ後くらいに、行動の個体群内の変異をめぐって意見が異なり、雑誌(『生物科学』)の誌上で論争したことだろう。今から考えてみると、もう少し突き詰めれば、行動シンドロームや動物の個性といま呼ばれていることに近いところにいたように思う。
 訃報を聞いて、いろいろなできごとを思い出した。伊藤さんが登場するできごとは次々脈絡なく思い出してしまい、なかなか収拾がつかない。なぜか、真っ先に思い出されたのは、私が4年生(伊藤さんが着任して半年後くらい)のとき、伊藤さんや院生などが行なった輪読で、W.D.Hamiltonの血縁選択の論文(1964年のJournal of Theoretical Biology 7:1-16と17-52)をやったときのことである。英語自体がとても難解であり、しかも参加者が内容をよく理解していたわけではないので、その時の印象は”苦行の中の苦行”といったものだった。
 もう1つすぐ浮かんできたのは、数年前に、私も共著者の一人である論文の別刷を送ってくれと言われた時のことである。「おもしろいじゃないか、驚くべきことだ」とほめてもらったのだが、ほめた直後に、なぜ交尾後の過程と思われるところをメインにした論文を書かなかったのか、と言われた。
 ご冥福を祈りますと書くと、伊藤さんからは粕谷がもっともらしいことを言っている、などと言われそうな気がするのだが、それでも、あらためて、ご冥福を祈ります。
 
 

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