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2006.07.28

[大学]サーバー地獄

 (大学で)自分が管理者になっているサーバー等は一時期8台あった。自分自身のウェブサイトを移転して、その分のサーバー管理をしなくてもよくなったり、あれこれ片付けて(増えた分もあるが)4台まで減った。そのうちの1台、大学のある部署のウェブサイトを載せているサーバーがゴールデンウィーク前から、呪われたような状態である。おおまかに言うと、まずハードディスクの故障である。かなり古いPC(だいたいそうだろうがサーバーであるしLinuxで動かしていた)だったし、新しいマシンに置き換えることにしたが、なぜかどのメーカーもすぐには納品できないと業者にいわれた。旧マシンからのデータ吸い出しに手間取り、納品されたらされたで、新しいマシンでは同じディストリビューション(という言い方でいいのだろうか)でもちがうCDなりDVDを作らなければいけなかったりした。自分以外の人や組織のウェブページがあるサーバーが落ちていて、その管理者だというのは、ただただ針のむしろだ。『申し訳なくて(あるいは、恥ずかしくて)お天道様の下は歩けねえ』という感覚でもある。
 ところが、この新マシンもハードディスク故障(BIOSのところでひっかかってしまうようになった)で、あわてて前回の教訓にしたがって準備していたバックアップマシンに切り替えて、すきまの非稼働時間は一時間余りだった。故障した新マシンの方は、メーカーに電話したが、夏のせいか、なかなかつながらなかった。それでも、今日、新マシン(当然まだ保証期間)の修理をしにきたー部品交換だけだが。あとは新マシンにOSをインストールして設定すればひとまず一段落だーと思うことにする(夜、OSのインストールもできた)。
  トラブルのときにどういう可能性をあたるか、とか、やや客観的な目で”後ろでみている人”の重要性とか、バックアップマシンの構成とか、知識が広がったり、新しい観点を得たなということはある。しかし・・・
 サーバー故障対応で仕事をしていたような気になっているが、ふと気づいたとき悲しいのは、これが本来の仕事とはいいがたいことだろう。私は一教員でそういった仕事は本来のものではないー大学の本部などが情報関係の調査をするときなどはボランティアなどと分類されるのが普通である。日本の多くの大学で、大部分のサーバーはこの”ボランティア”によって管理されているだろう。サーバーやネットワークのトラブルの際にいわゆる”担当”や”委員”なので出動するわけだが、今日もあちこちの大学で”ボランティア”が出動していることだろう。消防団が火災で出動するようなものかなあ(単なるたとえであるー大学の情報センターやコンピュターセンターが消防署?)とよく思う。
 私の仕事にとって痛いのは、サーバー故障対応で時間を取られる(だいたい論文を書くということなら2つ分に相当)こともあるが、それで仕事をした気になって、たとえば論文を書くのを遅らせることだ。ふう。
 そう言えば確か、朝永振一郎も、研究者に研究以外の仕事をさせると、仕事をしたような気になって研究のアクティビティーが低下する、とどこかで言っていた。


 

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2006.07.20

[その他]サーバー移転

 自分のウェブサイトを別のサーバーに移した。野外調査における安全と事故の防止については、他のものと分けて独立させた。まだ、いろいろなブラウザーで見るとおかしなところがあるので、休み(夏期休暇中)明けにでも直しておこう。

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2006.07.17

[統計]Rの本

 前にも書いたSpringerのUse R!シリーズで、ウェブサイトには載っていたAnalysis of Phylogenetics and Evolution with R (著者Emmanuel Paradis)が出るという案内が来た。(どうもペーパーバックらしい)$49.95とのことだ。

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[その他]男女群島での調査・続

 かなり間があいてしまったが、6月上旬に男女群島の女島に調査に行った。ここのところ、小さめの船に乗ると船酔いということが多かったが、海は静かで(それでも少し気分が悪くなったが)ごろごろしているうちに、男島が見えてきて、続いて、その周りの島、さらに女島も見えてきた。女島の、東側から前浜に向かって接近していた。
 上陸して尾根に向かって(たぶん垂直で100mくらい)登っていくうちに、クマバチとキアシナガバチをよく見かけるのに気づいた。この2種は島滞在中、随所でであった。花が咲いている植物には、カミキリモドキの一種がよく来ていた。メスとオスで後脚などにちがいがあり、はじめは別種か?とも思ったが、見ているうちに、メスとオスであることがわかってきた。テントウムシの成虫がちこちでアブラムシを食べたり交尾したりしていた。ナミテントウの2紋型にしては、紋が大きいなと思って手にとって見るとちがっていた。オオフタホシテントウだろう。
 荷物を減らすため、カメラはデジタル1眼(CanonのEOS)にタムロンのズーム1本だけにして、コンピューターもストレージも持たずに行った。予備のコンパクトフラッシュを2枚持っていったが充分に余裕があった(計算してみると、手があいたらすべて写真をとっていても、足らなくなることはなかった)。フィルム装填の手間はないし、フィルムのスペースはとられないし、ただただ便利だった(いまさら、便利さを銀塩とくらべてもしかたないが)。

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2006.07.14

[その他]カピロッシ

 マテラッツィで思い出すのが、オートバイの世界選手権(GP)でのロリス・カピロッシ(イタリア)である。たしか、1998年の最終戦、250ccで原田哲也のマシンにぶちかましを食わせて、ポイントで抜き、危険走行だが故意ではない、ということでその年の250のチャンピオンになったのだった。しかし、チームは首になり、ホンダのどこかのチームに拾われた。そして、翌年のイタリアGPで、ムジェロでは滅法強かったルッキ(イタリア)がポールポジションだったのを、スタート直後に横っ腹からがつんと当てて倒し(TVで見ている限りでは「当ててんだよ」という感じだった)たのだった。このレースでは、カピロッシは黄旗を無視して追い抜いてトップに立ちその後黒旗(当然だが)が出て無視して(ピットに帰ってこいというピットサインも無視していた)失格になった。私の記憶では、レース後のカピロッシは怒っていて、黒旗ってのはレースやめろってことなのか、という内容のことを言っていた(知らなかったらしい)。ポールポジションのルッキのさらにイン側にマシンを振って入っていき、がつんといったのだった。
 ちなみに優勝したのはロッシ(このころから速かった、スタートはよく遅れていた、このレースもゆっくりとスタートしていた、カピロッシのサイドアタックを食わないためか?)、たぶん一番わりを食ったのは、ルッキの倒れたマシンをよけきれずに乗り上げてしまった本間だっただろうか。
  最近GPはほとんど見ていないーいつからかと考えると加藤の事故からだ。

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2006.07.11

[その他]マテラッツィ

 ワールドカップも終わった。暑い。一番印象に残ったのは(途中までならビエラかジダンだったが)マテラッツィ(イタリア、ジダンに頭突きされた人として今は有名)だった。悪役として小耳にはさんだことはあるのだが、これとかこれとかを見ると、レインビアとも方向は少し違うようだが、悪役である。
 シェフチェンコ(たぶん)の前のボールに脚を上げていく[ここですでに反則?]途中でどうも足裏がシェフチェンコの顔に向かって軌道変化しているように見える。
 きわどい球に相手もスライディングで来てもマテラッツィは大丈夫、両足ともスパイクの裏で行くから、といったシーンも見える。たしか、試合終了後に相手選手をボコボコにして、そのボコボコにされたまま(相手選手が)テレビに出て、マテラッツィは処分されたというニュース(細部はちがうかもしれない)をみたおぼえがある。
 『うつうつひでお日記』でも見て、その後仕事に戻る予定。(ココログが48時間耐久メインテナンス中だったので、こちらに書いておいたものです)

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2006.07.03

[その他]研究費不正流用のニュースを聞きながら

 早稲田の松本和子教授という人の研究費不正流用のニュースを聞きながら、雨具(調査の絶対的必需品、これのよしあしで調査効率はまるでちがう)の支払いーもちろん自分の金(私費、ポケットマネー、自腹)ーのレシートを見ていたら、「要するにお金が余っていたわけだ」と(鈍い話だが)はたと気づいた。そうか、そんなに余っていたのか・・・

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