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2006.02.26

[その他]『お前は何をやっているのか』

 1998年ころ、サンと仲が悪いマイクロソフト社内では、幹部が出会うと「おまえはサンを殺すために何をやっているか」が合言葉だったとのことである。日本のマイクロソフトの代表取締役(当時)の成毛真氏による。(週刊東洋経済のインタビューでの言が、あちこち[たとえば、ここに記録されている)
 これを見たときはぎょっとしたり、マイクロソフトの企業文化がうかがわれるような気がした。今でもぎょっとするのだが、この「おまえは○○を殺すために何をやっているか」は引用ではないだろうか? もとは「おまえは日本人を殺すために何をやっているか」で、第二次大戦中のアメリカの有名軍人の発言だったような気がするのだが思いだせない。

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2006.02.25

[本]職業としての学問

 マックス・ウェーバーの『職業としての学問』(岩波文庫)は何度も読んだ。先週、本の山の1つの、下のほうから出てきたので、また読んだ。マックス・ウェーバーの愛人(書簡が公表されたときは、世界中でびっくりしたと聞いたことがある)は、D.H.ロレンスの奥さん(フリ-ダ・リヒトホーフェン)の姉である。フリ-ダ・リヒトホーフェンは、赤い男爵(石田英一郎や土方与志ではなく、この場合はマンフレート・リヒトホーフェン)の遠縁にあたる[ときどき、赤い男爵の妹だと書かれているのを見かけるが、そうではなく遠縁のはずで、しかも赤い男爵のほうが1892年生まれで、1879年生まれのフリーダより若い]。赤い男爵は、オートバイのレッド・バロンの名前のもとですね。
 『職業としての学問』をよく読み返していたころよりだいぶ後になって、リヒトホーフェン姉妹(赤い男爵関係ではなくフリ-ダの方、フリーダは3人姉妹の真ん中)について書かれた伝記的な本(題名調査中)をいくつか読んで、人間関係のややこしさにややくらくらした記憶がある。

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2006.02.20

[その他]茨木のり子

 茨木のり子死去のニュースを見た。私にとっては「自分の感受性くらい」である。”初心消えかかるのを”や”駄目なことの一切を”で始まるフレーズは、最初に職に就いたとき冬の曇り空の日々に(今も)頻繁に読み返した。

※”さん”のような敬称をつけるのもなれなれしいようではばかられるので、歴史上の人物と同様に敬称をつけませんでした。

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2006.02.16

[その他]プラモデル

 私が子供の頃、プラモデルと言えば、第二次大戦とそれ以降の実際の軍用機械がほとんどだった。そして接着剤でくっつける必要があり(はみ出すと出来上がりが不細工)、できあがったあとは塗装(レベルとかタミヤとか)もした。今は、アニメーションに出てくるものが多く、接着剤不要で、色もかなりの程度までプラスティック自体についている、ようだ。
 プラモデルになっていた軍用機械がどの国のものかはかなり偏りがあり、戦車はドイツとアメリカ(M4とそれ以降)と少しだけソ連がおもであり、飛行機は日本を中心にアメリカ、ドイツ、イギリスが多い。だが軍艦はほとんど日本だったという印象がある。プラモデルには興味があっても、第二次大戦の戦史などにはまるで興味がない小学生だったので、強かったもの+日本のものがおもにプラモデル化されているのだと思っていた。クラスには、「丸」などを愛読し第二次大戦に異常に詳しい子がいて、”メッサーシュミットが最高速度では上”とか”日本の飛行機の軍艦への攻撃命中率は体当たりを除くと低い”とか、知識をしゃべっていた。私はそれについてそんなものかと聞いていた(「丸」はがんと読むのだとわりと長いこと思っていた)。第二次大戦の戦史などについて知識量の著しく少ない子供(私)にとっても、日本の戦車が劣っていたらしいことは当然だったようだ。
 いまでも、そのころ、軍艦のプラモデルが日本中心だった(これも私の印象に過ぎないが)理由はよくわからない。
 第二次大戦期とそれ以降の歴史(もっといえば明治以降の歴史)についての知識のなさは、仁川上陸というのは日本のどこかに上陸したのかと思っていたことからもよくわかる(ディエン・ビエン・フーは知っていたが)。たしか、かんべむさしだと思うが、アメリカ軍が宝塚市の仁川に向かっていく、という短編(?)を書いているが、はじめ笑えなかった。

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[鳥だの森だの]レンズの配置設計

 ふとしたことで、レンズの設計めいたことーといっても1枚もののレンズをどう並べるかというだけだがーをしなくてはいけないことになった。レンズのガラスの屈折率などはわかっているし全部球面なので、そんなに複雑なことではないはずだが、ほとんど忘れているのに気づいた。2枚の凸レンズを同じ光軸上にある間隔で置いたときの全体の焦点距離の計算を思い出すのにも時間がかかった。どこかにきっとフリーのソフトウェアがあるのだろうという気がするのだが・・・

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[その他]ル=グィンの新作

 ル=グィン(ル=グウィン)を読み始めたのはかなり昔、「闇の左手」だった。たしか、次が「影との戦い」で岩波書店から出ていた割と大き目の本だった。結局、翻訳された本はたぶんすべて買って今に至っている。新作(新しい翻訳書)が出ると気になって買って読むが、いままで私にとっては、アースシーでは「こわれた腕環」が、ハイニッシュ・ユニバースでは「所有せざる人々」が最高である(「こわれた腕環」は岩波から出ている単行本を2冊、英語のTombs of Atuanを1冊買ってしまった)。私にとって、それにつぐのは、「影との戦い」である。Very far away from anywhere else[日本語翻訳タイトルは「ふたり物語」]もつよく印象に残っている(ここにも日本語紹介があるが、訳があることはふれられていないようだ)。これはもちろん私の個人的な趣味である、ル=グィンほどになると、熱心な読者、持続的な読者も多く、それぞれの評価があるだろう。
 就職して少し後、「アメリカ人はなぜ竜がこわいか」(たしかサンリオ文庫だった)も「こわれた腕環」ほどではないが何度も読んだ。
 また、新しい翻訳(「なつかしく謎めいて」)も出ているし、Giftも訳が出版されるのが楽しみである。

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2006.02.12

[その他]ニミッツ、マッカーサー

 子供の頃、年配の人に、昔の歌で歌詞をおぼえているものを教えてというと『いざ来いニミッツ、マッカーサー、出てくりゃ地獄へさか落とし』というのを思い出してくれる人がわりと多かった。印象的だったのだろう。マッカーサーは日本占領軍の司令官で、”言うことは法律である”人だったというくらいは知っていた。そこで、子供の私は、”マッカーサーはニミッツ・マッカーサーという名前で、このニミッツ・マッカーサーという人に対して、来い、と言っている、ニミッツ・マッカーサーが来たら、来いと言っていた自分たちが地獄に落ちる”という意味だと思っていた。すぐに、ニミッツとマッカーサーは別人で日本帝国の軍隊の敵であるアメリカ軍の海軍と陸軍のそれぞれの大物だということは知った。そして、この歌詞は第二次大戦で負けそうになっている日本が、敵のアメリカに対して強がったものであるというのを理解したのはだいぶ後だった。マッカーサーはどちらかといえば歓迎されたので、”来たらひどい目にあわせるぞ”と言っていたが実際に来てしまうとあっさりなびくといういかにも今ほめられそうな挙動を示したのだった。(マッカーサー自身にとって日本が地獄だったのかどうかはまだよくわからない、現地人が如何に媚びて恐れて崇めてくれても早く本国に帰りたい植民地の総督という例はいくらもあるから)
 この歌は調べてみると「比島決戦の歌」という名前だった。比島はフィリピンのことで、第二次大戦の緒戦では太平洋をまたにかけていた日本帝国(ときどき質問されるが、60年位前まで日本は天皇を頭にした帝国だった、本当に)が次々負けて、とうとうフィリピンに上陸してくるアメリカ軍にぼろくそに負けたのだが(ルソン島での飢餓とか「七面鳥撃ち」もこの頃のはず)、そのフィリピンにアメリカ軍が上陸してくる前の歌で、読売新聞がスポンサーとなって作られた。
 ちなみにニミッツは、kill japs, kill japs, kill more japsだかのことばで有名である(これは私の勘違いで、ニミッツの部下であるハルゼーのことばです)。

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2006.02.10

[その他]民友連

 今朝、なぜか、”民友連”ということばを思い出してしまった。しかし、内容はすぐ思い出せなかった。
 まだ8年ほど前の話でしかないがおぼえている人はたぶん少ないだろう。1997年の年末(そういえば、分裂→新党は年末が普通。国から政党助成金という金をもらう都合だそうだ)、新進党が解党して6つに割れたあと、民主党(いまの民主党の前身)と新党友愛、国民の声、太陽党、フロムファイブ、民主改革連合の5つが一緒に作った、国会院内会派の略称が民友連である。正式名称はなんと「民主友愛太陽国民連合」だった。”6つ”と”5つ”の関係は少々やこしい。”6つ”=”5つ”+1とかではない。

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2006.02.05

[本]囲碁界の母・喜多文子

 囲碁と将棋はどちらもプロがいて、新聞では並んでいる。だが、女性のプロという点では激しいちがいがあり、将棋の方には、名人などのタイトル(女性に限られていないもの)を争うプロはいない[タイトルの範囲をどうとらえるかによるが、ここでは名人などを念頭においている]。そのちがいは、囲碁には喜多文子(結婚して改姓する前は林文子)がいて将棋にはいなかったから、というのは言い過ぎなのだろうが、”利発そうな少女を見掛けると「碁を習ってみませんか」と声をかけ”ていた人の存在は巨大だっただろう。「囲碁界の母・喜多文子」(中山典之著、日本棋院発行)は、広い意味での”弟子”をとる分野(自然科学もそうだろう)の人に興味をもたれてよい本だと思う。囲碁を知らない少女をプロ棋士にしたところ(されたところ)など繰り返し読んだ。
 喜多文子は司馬凌海(司馬遼太郎の「胡蝶の夢」に描かれている)の娘である。

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[その他]藤沢周平と”熱狂の時代”

 藤沢周平は『私は熱狂がきらいである』といい、『過熱した風潮がおそろしい』と言っていた。ときどき、それを思い出す。戦争が熱狂の最大のもの、だとも言っていた。小林信彦(「ぼくたちの好きな戦争」など)を読むとそれを実感する。

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2006.02.03

[鳥だの森だの]マクロレンズ

 10年ほど前にそれまでニコンだった35mmの一眼レフをキャノンに変えた。レンズはそのとき売り払った。その後、同じくキャノンでレンズは変わらないが一眼レフのデジタルカメラになり(変えるとレンズのお金が必要なのでかえられなくなった)、仕事の大部分は、それでやっている。気がついてみると、交換レンズ(大部分は中古)の多くはマクロレンズである。キャノンの50mm(過去)、シグマの50mm、キャノンの100mmUSM、シグマの180mmなどに加えてフォクトレンダー125mmなどである。他にも近接撮影用途には、汎用のヘリコイドを介してEl-Nikkorを各種付けている(とくに紫外線撮影などでは便利、しかも大部分は破格に安い)。もし、マクロレンズ収集家なら、タムロンの90mmとかも買うところだろう。どのデジタル一眼レフでも使える60mmくらいの1:1までのマクロレンズが(安く)キャノンから出ないだろうか。
 もっとも、新しめの高倍率ズームは昔に比べるとかなりの近距離までよくうつる。タムロンの28-300mmで用が足りてしまうことも少なくない。

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[NFL]もうすぐスーパーボウル

 週明けには(日本時間)スーパーボウルだ。スーパーボウルの勝者にはVince Lombardi Trophy(グリーンベイのコーチの名前をとった)、AFCのチャンピオンにはLamarHuntTrophy(スーパーボウルの命名者、たしかカンザスシティーのオーナー?),NFCのチャンピオンにはGeorge S.Halas Trophy(シカゴのコーチの名前をとった)が与えられる。

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2006.02.02

[その他]イナバウアー

 女子フィギュアスケートの荒川選手がオリンピックで入れようとしている技の名前だが、Ina Bauerという西ドイツのスケーターの名前(日本的に言えば、Bauerが苗字でInaが”下の”名前)を続けて読んだものというのは昨日知った。体操で言えば、”グシケン”ではなく”コウジグシケン”とか、”ギンガー”ではなく”エーベルハルトギンガー”とか呼んでいるようなものか。

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