« 2005年9月 | トップページ | 2005年11月 »

2005.10.22

[統計]2つの帰無仮説

 計量的なデータでは、2つの変数の間に相関がないときを帰無仮説とすることが多い。だから、xとy/xの相関を調べたりすると、あほかと言われたりすることになる。xとyという2つの無相関の変数があったときに、xとy/xの相関を見れば、ほとんどxとxの逆数の関係を見ているようなもので、負の相関があって当たり前だからだ。これはx+yとx/(x+y)とかでも同様である。
 一方、計数的なデータでは2つの変数が比例しているのが帰無仮説ということがよくある(むしろ、普通かも)。比例しているのだから(もっとも期待値の話だが)、強い正の相関があるわけで、それを帰無仮説にしている。たとえば、生存数と死亡数だ。生存数と死亡数の比が一定という場合を帰無仮説にするのはごく普通である。生存数と死亡数が無相関のとき、つまり死亡数がいくら多くても少なくても生存数が(平均的には)あまり変わらないなら、それはかなり変わったことが起こっていると考えるのが普通である。だから、生存率を総個体数に対してプロットしてみたりするのは(それの相関係数rをそのまま検定というわけにはいかないが)、計量的なデータの場合とはちがってすごくおかしいということはない。逆に、計数的なデータ、たとえば、生存数を横軸に、死亡数を縦軸にプロットして、右上がりの傾向があり、有意な正の相関が・・・とか言い出すと、周囲はおかしさを指摘してくれはずだ(指摘してくれないときは、周囲が言い出した人に対してよほど冷たいか、そのデータに極度に関心がないかであろう)。
 ここまでは、教科書的な知識で多くの人はいまさらと思うだろう。「計数的なデータと計量的なデータでの帰無仮説のちがい? 呼び方はちがうけど、そんなものは頭の中のROMに焼いてある。知らないやつなんているのか」とか言われそうだ。”もぐりでも知っている”という部類かもしれない。
 さて、ときたま、計数的なデータのくせに計量的なデータの帰無仮説とそっくりの仮説が登場することがある。性比の例などがそうだ。そういうときにはどういう誤差分布を考えるのか、とか思うと頭がくらくらしたことがある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

[その他]研究費の書類

 10月になって後期の授業も始まり、秋にある学会の準備もしなければならず、という時期になって、夏の”負債”のつけがまわってきて、また多忙化しつつあるーどこかで休もう。
 さて、研究費などの各種の申請では、申請を受ける側が作ったファイルに書き込んでいく形で申請書を作ることが多いが(用紙が渡されて、これに書いて出しなさい、というものもまだそれなりにある)、私の手元にあるコンピューター群ではそのファイルがうまく処理できないということが時々起こる。MS-Word、MS-Excelは最新版を装備していないためかうまくいかないことが多いのだが、昨日はpdfファイルの一部(ここを書き換えろ、と受付側が指定している箇所)を書きかえようとしたら、Acrobatが”反逆”して、フォントがないので書き換えられない(別にBenguiatにしろとか指定したわけではない)と言い出し、ではとフォントを変えると今度は書式が崩れて、慌てた。たまたま少し古いMS-Wordで書き直せたので2時間ほどのロスですんだが、そろそろLinuxでなら(よほど速さを要求するものでもなければ)そこそこ動くコンピューターで休んでいるものにOpenOfficeでも入れておくべきかと思った。
 研究費の申請書は単なるテキスト(htmlでもまあいいが)にならないのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.10.21

[その他]忘れられる

 レストランとか喫茶店とかの飲食店に行って注文が忘れられるということはどのくらいの率で起こるのだろうか。私の場合、だいたい20分の1くらいの率が普通だった(一時期、数えたことがある)。注文をとりにこない、というのを含めるともう少し多いかもしれない。注文を忘れていたことが発覚したときの店側の対応はさまざまで、そのまま放置(水を飲んで帰った)、何もなかったかのように注文を改めてとりに来る、すでに持ってきて(私が食べて)下げた後だと言い張る、催促が遅いと言われる、などはそれぞれ経験した。
 学会や研究会、セミナーと言ったものでも、質問のため手をあげていて他には誰も手をあげていないのだが指してくれない、質問したのだが発表者が答えてくれない(発声しないという意味である)ので待っていたら司会者は「他に質問は」、などということもわりとよくある。本やシャープペンシルや紙などを持って質問に来た院生が、私が答えている最中に、本やシャープペンシルや紙などを私の前に置いたまま、部屋から出て行きそのまま帰宅(口論とか意見のちがいがあったわけではない)したときにはたまげたが、質問の意思表示(多くは挙手)→質問→回答と順調に進まなくてもーそのためか今でも学会や研究会やセミナーといったものは落ち着かないがーそれほど驚かなくなってしまった。目立てばいいのではないかと、一時、いわゆるバルデラマ頭にしてみようかと思ったこともあるのだが、手間が大変で面倒くさそうなのでやめにした。後から考えてみると、あの髪型で質問するとかえって指名されたり回答されたりする率が下がるかもしれない。『質問がありまーす』という大きな音を何かの機械(昔ならラジカセ、いまならコンピューターがあれば充分だろうか)から出すというのも考えた。でも、音を出すなら、『しばらく』でペインティングも併用する方がわかりやすいかもしれない。
 質問したときに、発表者がいきなり、『次の質問は』と言って他の人を指すと、最初の質問者は意外に反応できないのが普通である(私はできなかったことがある)。質問の意思表示(多くは挙手)→質問→回答と順調に進まないときには、質問者側も意外な手が有効なのかもしれない。
-----
というところまでは10月21日に書いた。同じ研究室に属している方から、ウェブログを読んだが研究室のセミナーで質問への答がないといったことを指しているのか、とコメントがあった。ここで書いたことは私が属している研究室のセミナーとは別のことである。研究室のセミナーでも、ときに質問に対してはかばかしい答がないことはある。4年生や大学院に入って間もない院生が自分が答えることを要求されている場面なのかどうかすぐ把握できずにそうなるケースが大部分であるように思う。それは、上に書いたような問題ではなくて、教育的な事柄であるとともに、お互いにどういう挙動を示す相手かまだよくつかめていないという問題だと思う。この項目(---より上)にはそういうケースは入っていない。
 ところで、研究室のセミナーにバルデラマ頭で不意に現れたら、と考えると、セミナーの会場になっている部屋は人数に比して広くはないので、著しく(空間的な意味で)じゃまかもしれない。
 以上は10月25日。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

[大学]研究費

 科研費(科学研究費)の申請時期になって、あくせくと書類を書いている。見なし労働時間の2倍以上働いて、現実逃避して、酒井さん(東北大)のページで『科研費の財源は貴重な税金である。自分の研究に必要な額だけを獲得するべきだ。』と書かれているのを読んだ。金額の大きい研究費を獲得することこそがそれだけえらいのであるという雰囲気は大学内部にじゅくじゅくとしみこんで来ていると感じるが(私がいま所属している学科であまりそういわれたことがないのは救いかも)、いつも変な違和感を持っていた。酒井さんが書いていることは、違和感の重要な一部のようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.10.09

[その他]アメリカ行き

 一週間ほどアメリカで研究の打ち合わせなどで行ってきた。よく働いた。観光らしきものもしなかったー日本国内で学会に行ったときでももう少し見てまわることが多い。シカゴ空港の手荷物検査では軒並み靴を脱がされていた(私も脱がされた)。紆余曲折の末にJALで行ったのだが(あちこちのサイトで見たとおり)、機内食はううむといいたくなる味だった。何箇所の空港を使うことになったが、成田空港の国内線待合室はうらさびしかった。
 普段とちがう環境なので、いくつか新しいことを考え、前から考えていたことのいくつかが実は成り立たないことを示すことができた。あの状態で今回のように時間をとる仕事がなく、1月くらいいられたら、論文の3つや4つはけりがつきそうな気がした(夢を見た?)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年9月 | トップページ | 2005年11月 »