[大学]すでに「助教」の任期制が
大学教員の職として、「助教」というのを作る法案(学校教育法一部改正案)は国会にかかっている最中なのだが、すでに先取りして、新しく採用される助教は任期付きというプランを作っている大学がある。すばやい、(SFだと)植民地惑星の政府の大臣とかが本星の政府のご機嫌をとろうとしているといった情景を連想しそうだ。
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大学教員の職として、「助教」というのを作る法案(学校教育法一部改正案)は国会にかかっている最中なのだが、すでに先取りして、新しく採用される助教は任期付きというプランを作っている大学がある。すばやい、(SFだと)植民地惑星の政府の大臣とかが本星の政府のご機嫌をとろうとしているといった情景を連想しそうだ。
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計算機が速くなった(速い状態から始まった人には速くなった実感など無いだろうが)ことがよくわかる実例はいろいろあるが、パラメトリック・ブートストラップ(前にも少しふれた)はその最たるものだろう。名前こそブートストラップだが、あまり元祖ブートストラップには似ていないと思う。パラメトリック・ブートストラップの理由付けは、検定とはこういうもの、ということがおおざっぱにわかっていれば一直線のわかりやすさであろう。それでいて使用可能範囲はかなり広いので、”伝家の宝刀”的に使えるときも多い。5年くらい前からの修士課程の授業では必ず話すようにしている。
2つの確率モデル(モデル1と2とする)を最尤法であてはめ、それぞれのパラメーターを推定し、最大尤度を求めておく。最尤推定したので、そのパラメーター値を持つモデル1は、データにもっともよくあっているモデル1だと考えていいだろう。また、モデル1とモデル2の、そのデータでの最大対数尤度の差は、どちらのモデルがデータによくあっているかを示している量だと見ることができるだろう。データで最尤推定したパラメーター値のモデル1を使って、(乱数で)データと同じサイズのデータを作る。この作った(モンテカルロ的に作った)データもどきにまたモデル1とモデル2を最尤法であてはめ、最大対数尤度を求める。2つのモデルの最大対数尤度の差をデータのそれとくらべてやる。データがモデル1はあまりあっておらずモデル2には非常によくあっているなら、データの(モデル2の最大対数尤度-モデル1の最大対数尤度)は、モデル1で作ったデータもどきの(モデル2の最大対数尤度-モデル1の最大対数尤度)よりも大きくなりやすいだろう。データもどき生成を多数回(10000回とか)やって、両モデルの最大対数尤度の差の分布(モデル1が正しいときの、ということになる)をデータのそれとくらべてみれば検定できる、というわけである。大切なのは毎回、最尤推定することである。もとのデータとデータもどきは同じではないし、データもどきは毎回ちがう。データから最尤推定したパラメーター値のモデル1の、データもどきでの、最大対数尤度を求めるのではなく、毎回、モデル1を最尤法であてはめる。
両モデルの最大対数尤度の差を検定統計量のようにみなすのも素直だし、モデル1で生成したデータもどきは帰無仮説が正しいとき、と同じである。尤度と検定がだいたいわかっていると、かなり直感にもうったえて、わかりやすいように思う。
最初は、離散量でサンプルサイズがあまり大きくないときに使い始めたが、相当な威力だと思う。確率モデルがないとだめではあるが。
10000回データもどきを生成すると、最尤推定を20002回もすることになるので、非線形の最大化1つでひいひい言っていたのでは話にならない、計算量だ。(この項、続く予定)
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講義の準備をしていて、ふと血縁度と協同的性質の関係の説明のバリエーションを思いついた気になり(核とミトコンドリアが出てきたのに反応して思いついた気になったので、反応経路はよくわからない)、何を考えたのか、Hamilton(W.D.Hamilton)の論文集「Narrow Roads of Gene Land」を開いてしまった。1964年の血縁選択の論文を4年生からM1にかけて読んだ記憶が文章の難しさとともによみがえって、ぞっとした。読み返したがやはりむずかしく、Charnovがどこかにdifficult to followと書いていたのを思い出す。あとでMichodとHamiltonの論文を読んだときには救われた気がした(さらにGrafenの秤を見たときには救われる人がたくさんいるだろうと思った)ことも思い出したが。Hamiltonは、Fisherの統計論文ともども読み直してみようと思っているのだが、1964年の論文を見るたびにそこで中止になっている。
Hamiltonの論文集のタイトルは確か、奥の細道にちなんだものだった。”ちはやぶる奥の細道”だと何と訳されるのだろうか。
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九大箱崎キャンパスの南から南東(箱崎方位ではなく普通の方位である)にかけて、箱崎の町(の北より)を国道3号線から百年橋通り(国道3号線バイパス)までつなぐ車道が開通した。1週間くらい前になる。まだ一部が片側1車線だが大部分は片側2車線である。このあたりで東西(箱崎方位の南北)をつなぐ道路は、片側0.5-0.7車線くらいのものばかりで、しかも交差点でかなりの回数曲がらなくてはならず(まちがったところで曲がったりすると、”俺はどこに行くんだ、許してくれ”ということになった)、たぶん、妙見(篠栗線)から宇美川大橋(国道201号)まで、それなりの車道はなかっただろう。
この工事は、長くかかった。最大の難所と思われたJR鹿児島本線の高架ができて踏切がなくなっても、そして歩道などがほとんどできてしまっても、なお、開通せず、数ヶ月工事が進行していないように見えることも多かった。
九大から箱崎の町の大部分に行くにはこの道を渡らなければならなくなった。完全に町が2つに分かれた感じだ。とくに大学通りとの交差点(以前、モスバーガーがあった)やバス通り(カーブしている)との交差点など風景が大きく変わった。すでにかなりの交通量がある。
国道3号線の箱崎ふ頭西側入口交差点(本屋とガソリンスタンドとコンビニのある交差点)から百年橋通り(国道3号線バイパス)の松田交差点が結ばれた。
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助手→助教という法案(学校教育法の一部改正案)はけっこう問題点がありそうな気がするのだが、すいすいと衆議院を通過し、もう参議院に行っている。なんと速い。
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1980年代になったかならないころ、パソコンとしてはまだPC-8801も出回ってはいなかったころの話である。ノンパラメトリック検定があまりポピュラーではなく、Mann-WhitneyのU検定をしたら上級生に、変わった検定をするわけを聞かれたのも、この頃だった。
自分の研究のうえで、カーブに対して、ある点を通る接線を引き、その接点の座標を求めなければいけないことになった。1つ求めればいいのなら、しゃかしゃかと手計算でもできたのだが、いろいろな点について求めなければいけなかった。当時、私が大学院生で所属していた研究室の助手Tさんが研究費(たしか科研費)で購入したパソコンを使わせてもらって計算した。メモリーが数10キロバイト(確かはじめは16キロバイトだったと思う)、プログラム言語はBASIC(しかも構造化はほとんどなく行番号付きーQuickBASICだのMS-BASICだのとはまったく別言語と思ったほうがいいだろう)とアセンブラ(Z80)だった。Tさんの部屋に、出力用紙が山のように出た(夜に走らせて帰ったら、大量に出力されてしまった)など迷惑もたくさんかけてしまった。しばらくしてフロッピードライブが付いた(本体よりも高かった)ときは、なんと便利なものが、と驚いた。
このコンピューターは、計算してしまえば結構わかるもんだ、という観念を私に植え付けた。私はその研究室に5年半いて(もっといるだろうとずっと思っていたーもっとも5年半の最後の約半年は別の大学の研究室に週に何回か行っていた)、別の大学の助手に就職して移ったのだが、就職先の寒い大学で(ここで50cm以上の積雪を経験)、よく教科書に載っている統計的な検定はその通りになるのか、生態学ではよく出会うがどうも教科書にあるような仮定を満たしていない場合など、次々計算してみた。就職してしばらく(とくに10月から行ったので最初の半年)は研究費も個人的にも金欠(これほどの金欠はその後は一回しかない)で、別の研究室のKb教授がパソコンを使わせてくれたのは本当に助かった(好意に甘えてその後もお世話になってしまった)。このころにはパソコンはおもにNECのPC-98シリーズになっていた(”国民機”とか言われていたと思う)。この頃、疑問に思ったことの中にはまだ解決できていないものがいくつかある。乱数発生のルーチンの大切さを思い知らされたのもこの頃(1980年代なかば)だった。
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助教授を准教授に名前を変え、助手を助教(新設)と助手に分けるという、教員組織の変更は、あれれという間にどんどん進んでいた。もう衆議院の委員会(文部科学委員会)を先週末にとくに修正も無く(付帯決議はついている)通っていた。
ただ名前をかえるだけということではないようだ。新しい助手がいわゆる”行き止まり”の職になるおそれは濃厚だし、助教だというだけで任期付きにできるようだ。国会にかかっている法律案の名前は、学校教育法の一部改正案なのだが、条文を見ると、他の多くの法案の改正もセットになっていて、その中に任期制法の改正もある。これまで、いろいろ法律上の制限があっても、包括的に任期制にしているところもあるのだから、助教なら任期付きにしていいとなると、どどっと広がりそうな気がする。
労働組合方面のサイトでも、一部しかこのことは扱っていないようだ。とりあえずこことかこことか載っているところからたぐってみた。
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30年前に多くの大学院生や大学生(いわゆる理系)が普通に持っている計算機の能力はおそろしいほど低く、計算には忘れたいくらい時間がかかった。まだ、ときどき(お金の計算に)使う関数電卓(死語か?)は、統計計算もできますというふれこみなのだが、平均、分散、標準偏差などが求められるだけで、データに順位をつけることはできない。平均と分散(ということは標準偏差も)を計算するには、データの合計、データの二乗の合計、データの個数という3つの記憶場所(変数)があればよい。2つの量の間の相関でも5つあればよい。ところが順位をつけるときには、そうはいかない。ノンパラメトリック検定が普通になりだしたのはおそらく、”パソコン”(パーコンと略されないのが不思議)の普及があってこそだろう。
尤度を扱うと非線形の最大化のための繰り返し計算(聞きにいった工学系の授業で最急降下とケージングを知ったときはそんなこともわかっているのかと感心した)はつきものだが、データを記憶しておかないと計算できないから、30年前くらいだとほとんどの人にとって日常的に手の届くところにある計算力では無理だった。
多くの人が使える計算機の速さはまるで”全能の舞台監督”のように、”普通に使われる統計的方法”を変えてきた。数十のサンプルサイズの単純なランダマイゼーション検定を、計算量が大きいからできない、と本に書いてあったりしたのはそんなに昔のことではない。パラメトリック・ブートストラップをいま別のパソコンがやっているが、さらにはある状況でパラメトリック・ブ-トストラップがうまく機能するかどうかをシミュレーションで調べること、などはちょっと前までは、単なる夢だった。
それにしても、他のサイトはとくに遅くはないのに、このココログのサイトは遅い。
ログイン画面が出るのに2分
ログインして自分のところが表示されるまで4分
保存をクリックして、”反映中”が出るのに約2分
そして”反映中”は5分たっても終わらずに、
そのままになってしまった。
といつにもまして遅い。
いつもは、その半分くらいなので今日はひどい。
こうなると、このサイトでは、いったんブラウザーをとめて、再度試してもまず無駄である。
ちゃんと書き換えられた状態で保存されているのか、非常に不安だ。検索をかけてみると、ココログは遅いそうで、ココログを使っているのはボケ、というようなページがいろいあることがわかる(googleの速さーとくにいつもと変わらないのだがーが爽快)。
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生物学者に統計というと、しばらく前までは、t検定に分散分析、回帰に相関係数(r)、分割表のカイ2乗検定というところが基本だったと思う。1980年代くらいには、これにU検定やWilcoxonの符号化順位検定、順位相関係数といったノンパラメトリックな検定が付け加わった。
今はどうだろうか。もし、基本として1つだけ選ぶとしたら、尤度ではないだろうか(1つだけという設定がかなり無理なので他のものを選ぶ人もいるだろうが)。それほど実際のデータの解析で尤度や最尤法の登場頻度は高い。いま、”生物統計学”といった授業で実際にデータ解析に使われることを想定して教えるなら(学部3年生後半から4年生くらいを想定)、尤度、最尤法、一般化線形モデル(GLM)を抜かすわけにはいかないと思う(そろそろベイズ統計もそうなりつつあるように思う)。尤度、最尤法、一般化線形モデルに授業で得た予備知識なしに出会うのでは、論文を読む学生や将来の院生がかわいそうだー悪意(か未必の故意)を疑われてもしかたがない。院生には吸収力と自己消化力がかなり高い人が相当数含まれているので、教えないと研究のダムとなってせきとめているようなものだ(”決壊”した時にはさんざん言われるわけだし、教えているとだんだんよくわかってくるので自分の頭を回転させるのにも役立つ)。
”生物統計”と直接・間接に銘打った教科書はかなりあり、1つの山地をなしているので、日本語でのGLMや最尤法で一貫した生物統計教科書や、95%くらいベイズ統計という生物統計教科書(のこりの約5%はベイズ以外もありますという説明)がそろそろあってもいいと思う。
さて、どうして、こんなに”統計の基本”が変わってきたのだろう。1つの大きな原因は、あまりに物質的だが計算機の速度である。コンピューターで計算することを禁止し電卓のメモリー数を10くらいまでに制限してしまえば[非線形の最大化ができるようなものは御禁制の品]、ノンパラメトリック検定普及期以前に戻れるだろう。ひとによっては、”古き良き時代”を回想しノスタルジアにうちふるえるかもしれない。私は、100を越える点のある散布図をロットリングで描くのは”苦役”だと思うので、古き良き時代だとは思わない。(続く)
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テニュア(tenure)とは、聞きなれない言葉かもしれないが、大学教員が終身雇用されることである(終身雇用権と訳されるのが普通)。とくに悪いことをしなければ、定年まで勤められることと考えておいて良い。アメリカの割と若い研究者と話をしていると、テニュアが説明を要しないことばで、テニュアをとることが大きな目標であることがわかる。終身雇用に名前がついているということは、そうでない職があるということである。博士学位をとってすぐにつく職は期限があるのが普通である(と皆言う)。
日本ではしばらく前まで大学教員は終身雇用が普通だった。ここのところ、任期制を導入して、変化が激しく進んでいる。現時点では、任期制を一部のポストに導入しているところ、導入していないところ、全ポストを任期制にしているところとさまざまである。私が働いている大学でも全ポストを任期制にしている学部がある。
3年とか5年といった任期(要するにその期間しか雇ってくれない)があるのと、終身雇用とでは、給料などが同じでも、労働条件は大きく異なり、職の魅力はまるでちがう。終身雇用の方が魅力が大きいのは明らかだろう。プロスポーツ選手が長期間契約を求めるのと同じだろう。任期制とテニュア制度の差は当人にとっては天地ほどもあろうか。
日本では、「全ポスト任期制」にも見られるように、教授も任期制というところがあちこちにある。また、任期制こそ流動化による活性化の切り札とまだ考えている人も少なくないようなので、まだ増える可能性がある(私も”流動”しているが、異動すると出費も多く時間もとられてコストは大きい。本気で流動化による活性化をしたいのなら、異動した人に異動に要した費用の実費を支給し、新しい研究室立ち上げの臨時研究費を出すようにするのが効果的だー北風より太陽というわけです)。
さて、まさかアメリカでは任期制がほとんどだと思っている人は多くはないだろうが(”競争的なアメリカンやっぱりナイス”という人はいるだろうから)、アメリカではどうなのだろうか。文部科学省のサイトには、あっさりとまとめられている。教授の96.2%、准教授の83.6%がテニュア付きだそうだ。そして、全教員で見ると62.3%がテニュア付きとのことである。約9割の大学でテニュア制度を採用しているそうだ。他の国での制度も載っているので、関心のある方は必読だろう。
任期制には再任制度(もう1任期雇ってもらえる)があるところもある。再任が甘美に見えても実は”激辛”であるのは、外部から招かれた委員がみな再任OKと言っても再任拒否された京大(再生研)の例を見てわかる。それに、かりに、学部の有力教員(これは私の働いている学部の話ではない)が、キミは任期制になっても大丈夫だよ再任されるよ、といってもその人が再任審査のときにいるとは限らないし、その人が決めるものでもない(その人個人が決めるなら有力教員ではなく独裁者か王だろう)。
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