[その他]調査統計局
ここには統計的方法について書くはずだったのだが、地震のことばかりだ。今回も”統計”なのは名前だけ。
さて、だいぶ前になるが(今働いている大学に転勤してくる少し前)、今西錦司の戦前・戦中(1945年に日本の敗北で終わった第二次世界大戦のこと)の事跡などを調べるため、1933-1946年付近の中国での日本人科学者(まず例外なく占領軍である日本軍[というより大日本帝国軍]のもとに行っていた)について調べていたことがある。どこでも触れられていなかった(当時)今西錦司関連資料なども見つけることができ、作業自体は発見にあふれていた。戦中は激しいバブルであり、中国はじめ占領地に行っていた日本人研究者はびっくりするほど多かった(ある所でそう話したら、年配の方から資金などなかった例をいくつも紹介された。バブルの時期には、金が回らないところが実は多く、まわるところにはうじゃうじゃとしている、とお答えした)。
時代背景を知らないとそもそも史料の意味もよくわからないので、仕方なく勉強を始めた。日本軍がやってくるので、当時の中国政府が次々西へ首都を移動(南京から武漢へそして重慶へ)し、大学も重慶へ移動した(人が移動するわけであるー新キャンパスへの移転といったものとはちがって)。もし日本だったらと想像すると、大阪・京都や東京は占領されて、会津若松か山形(盆地)に首都を移動して、あちこちの大学の学生と教員も移ってきて大学を名乗っている、という状況だろうか。これが日本で起こったら、100年たっても忘れられないだろう。考えてみると”どこかの国が攻めてくる”ネタの小説などはかなり多いが、”占領されてその気になってしまう”ネタは『サモワール・メモワール』などはあるが(『征東都督府』も少し近いかもしれない)最近あまり見ない気がする。想像力減退の表れでないとよいが。
そのころの中国政府のトップは蒋介石で、国民党政権である。そこに調査統計局という組織があったことがよく出てくる。陳兄弟とか載笠とかいったおそれられていた大物が調査統計局の”えらい人”である。調査統計局は、情報機関である。だいぶ組織の性格やサイズはちがうとはいえ、日本軍の特務機関という名前とは対照的だ。
調査統計局は2つあり、1つは中国国民党中央執行委員会調査統計局で略して中統(テストの名前みたいですが、たぶん情報機関の方が先)、もう1つは国民政府軍事委員会調査統計局で略して軍統(時期によって細かいちがいはあります)である。
いまの日本では政府の方はたしか「統計局」だったが日銀は「調査統計局」だった。日本の官職や政府関連のさまざまな名称には中国由来のものが多くあるが(もっともよく知られている例は黄門でしょうか)、これも戦前の中国の調査統計局にちなんだネーミングだろうか(銀統とは呼ばれていないと思うが、もし呼ばれていたら教えてください)。
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