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2005.05.26

[本]ある作家の小説をすべて読む

 ある時点での、ある作家の小説(といっても新刊の非高価本で入手できるものだけだが)をほぼみな読むという読み方をすることが時々ある。一番最初はたぶん高校生のときのヴァン・ダイン、そして山本周五郎(全集が高校の図書館にあった)、続いて司馬遼太郎、小林多喜二、途中を略して、島田荘司、小林信彦などなどがそうだ。その時点ではたぶん全部読んだが、その後はぱったり読まなくなった作家も司馬遼太郎、森村誠一、斎藤栄など。”着火”したときには、やめようとするのはまず無駄で、隆慶一郎全集をとある図書館で見たときには結局、全部読んでしまった。出先でたまたま本屋に入り、そこで”着火”するのは、出張の妨げになりやすい。書店から書店へとその作家の本を買いつつ移動し、書店で「このあたりに●●と××以外に本屋さんはありませんか」と聞いたりしてしまう。
 ある日、”着火”して読み始め、次々にいってしまうのだが、そのときに入手できる作品の数十パーセントくらいでぱたっと止まってしまう作家もいる。藤沢周平、池波正太郎(剣客商売は着火したと思った)、永井路子などがそうだ。ぱたっと止まってしまうだろうなと感じているのだが、衰えと自己模倣が痛く感じられたのか、読んでしまった三島由紀夫、といったこともある。エラリー・クイーンのように中学から高校にかけての国名シリーズとX,Yのあと、だいぶ間があいていたが、ふと読んだらずるずるということもあった。
 ”着火”して貪り食うように読むと費用もかかるし、きっと割とすぐに”着火”しなくなるだろうと10年ほど前には思っていたことがあるのだが、去年も野尻抱介、小川一水などで”着火”してしまった。

 仕事で読む論文では、R.H.MacArthurくらいしか全部読んだということはない(論文を少数しか書いていない人やほとんどを日本語で書いている人は除いて)。と書いたが、調べてみると他に何人も20以上の論文をみな読んでいるという例があった。R.H.MacArthurは書評なども集めて読んだ。

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