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2005.05.30

[本]山本周五郎

 ある個人の全集というものを見て、全部読んでしまう気になったのは山本周五郎がたぶん最初だった。高校生のときである。高校の図書館の本だった。はじめは、予定調和でわかりきった救いのある話を書くんだなと的外れなことを思っていた。そのうち、そうではないことがわかってきた。「さぶ」、「天地静大」、「ながい坂」・・・
直木賞に始まり文学賞を断りまくった山本周五郎はそのうち読まれなくなる日が来るのだろうか。今のところ、その気配はなさそうだが。

 さて、学会賞というものがある。学会が、この研究はすぐれた研究ですといって誰かを表彰するものだ。実際には学会が審査員を選んで、その審査員が決める。この審査員は苦しい(憲法で禁止された苦役ではないかとよく思う)。これが学問的評価なのかー他人にどれだけ役立ち、ショックを与え、後の人が乗る肩になることが評価だったのではないのか、というような声はよく頭の中で連呼される。山本周五郎なら、お前たちが俺の作品を評価できるのかい、とかいいそうな気がすることも連日だ。
 賞には賞金がついていることがある(あるときまで賞金こそ賞の本体だということになっていると思いこんでいた)。私も高給取り(私の同業者にはほとんどいないだろうが)ではないので、賞金はときには非常にうらやましい。私が会員である学会の1つには、中堅と若手がもらえる(年に2人まで)賞金30万円の賞がある。この賞は申請(のような)手続きが必要で、私はしたことがないのだが、30万円か・・・とは気になっていた。しばらく前に、私はもうこの賞の範囲からは外れていると(複数の(いわゆる)有力会員から)言われたときには、30万円分の本が、カメラが、双眼鏡が、レンズが、タイヤが、だれかに持ち去られたような気がした。
 賞については、どうみても決算はいまのところマイナスだ。いろいろな学協会が賞を新設するのに立ち会ってしまったときにも、賛成ではないと言ってはいるものの、うまく抵抗できたためしがない。たぶん方向性がよくないのだろう。”どうも賞という物は・・・”などとうじうじ感いっぱいではなく、”穏健な提案”(modest proposalですね)で行かなくてはだめなのかもしれない。考えてみることにする。

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[その他]割り当て動員余聞

 ちょっと前に大学での割り当て動員(通称、赤紙)について書いたが、未来予想図とも思えるのを見つけてしまった。北陸大学なる私学の教員の方の悲痛なさけびである(労働組合の機関紙で、後半がその投書である)。自分で企画したものに聴衆を集めるために動員をかけている、弁当もおやつもない”寝床”だろう。
 落語家を呼んで、”寝床”をやってもらうといいかもしれない。もっとも、大学によっては”一眼国”の方が適当かもしれない。

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2005.05.27

[学会]学会での企画ー人形劇の場合

 昨冬(もう半年経ったことになる)、学会の大会をお世話したとき[と一見えらそうに書いているが、私はお世話した人々の一人である、という意味]、いろいろ企画を考えたが、いずれもシンポジウムみたいなもので、内容以外は変わったものではない。
 私は、他の人に比べて、学会での変わった企画のアイデアを口走ったときに、実行確率を高く見積もっていただいているようだ。おそらく、15年ほど前に、私がよく参加する学会の中では大きめの学会で人形劇をやったことがその原因だろう。いわゆる学会のえらい人の人形が登場する人形劇だった。まだ、今の職場に転勤してくる前だ。
 発端は、泊りがけの研究会の夜、酒を飲みながら、人形劇なんて面白いんだと言ったことだった。「●●は面白いんだけどいつも言うだけ」といわれて(●●は私の姓が入る)引っ込みがつかなくなり(中略)やることになった。実際やってみると、学会に出かけるときの気分がちがう。適当な形容のことばを思いつかないのだが、”すがすがしい緊張感”というと多少近い。学会の風景がちがって見え、こんなに多くの人が自分を知っていたのかと思うことは請け合いである。準備のとき、たとえば、観客(参加者のこと)に配るパンフレットを作っているときなどのわくわくとしか言いようの無い気分は、自分が普段は学会に慣れてどうも気分が盛り上がっていないことを痛感させるものだった。
 シンポジウムで話す前などに、”ここまで言っていいのだろうか”といったことを考えることがあるだろう。人形劇をしたことは、そういう不安やためらいや恐怖の源を速く見定めるのにも、その後役立っている気がする。
 やる前にいろいろ考えたので、とくに”やってしまった・・・”というような気持になったことはないのだが、その後、人形たちの出番があまりないのが残念だ。
 ちなみに、この人形劇は、その学会で系統樹作成ソフト(人形劇では研究者の系統関係用にMacCladeを使った)を使った発表としてはかなり早い時期のものである。

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2005.05.26

[本]ある作家の小説をすべて読む

 ある時点での、ある作家の小説(といっても新刊の非高価本で入手できるものだけだが)をほぼみな読むという読み方をすることが時々ある。一番最初はたぶん高校生のときのヴァン・ダイン、そして山本周五郎(全集が高校の図書館にあった)、続いて司馬遼太郎、小林多喜二、途中を略して、島田荘司、小林信彦などなどがそうだ。その時点ではたぶん全部読んだが、その後はぱったり読まなくなった作家も司馬遼太郎、森村誠一、斎藤栄など。”着火”したときには、やめようとするのはまず無駄で、隆慶一郎全集をとある図書館で見たときには結局、全部読んでしまった。出先でたまたま本屋に入り、そこで”着火”するのは、出張の妨げになりやすい。書店から書店へとその作家の本を買いつつ移動し、書店で「このあたりに●●と××以外に本屋さんはありませんか」と聞いたりしてしまう。
 ある日、”着火”して読み始め、次々にいってしまうのだが、そのときに入手できる作品の数十パーセントくらいでぱたっと止まってしまう作家もいる。藤沢周平、池波正太郎(剣客商売は着火したと思った)、永井路子などがそうだ。ぱたっと止まってしまうだろうなと感じているのだが、衰えと自己模倣が痛く感じられたのか、読んでしまった三島由紀夫、といったこともある。エラリー・クイーンのように中学から高校にかけての国名シリーズとX,Yのあと、だいぶ間があいていたが、ふと読んだらずるずるということもあった。
 ”着火”して貪り食うように読むと費用もかかるし、きっと割とすぐに”着火”しなくなるだろうと10年ほど前には思っていたことがあるのだが、去年も野尻抱介、小川一水などで”着火”してしまった。

 仕事で読む論文では、R.H.MacArthurくらいしか全部読んだということはない(論文を少数しか書いていない人やほとんどを日本語で書いている人は除いて)。と書いたが、調べてみると他に何人も20以上の論文をみな読んでいるという例があった。R.H.MacArthurは書評なども集めて読んだ。

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2005.05.21

[大学]助手→助教(と助手)

 大学の教員の職名は、教授、助教授、講師、助手となっていることは、大学関係者(とくに教員自身)はよく知っていることだろう。これを、助教授を准教授にし、助手を分割して助教(新設)と助手にする法案が今の国会に提出されているのだが、私はそこまで進んでいるとはまったく気づいていなかった。現在の助手は「教授及び助教授の職務を助ける」と法律に定められているが、多くのところで実際とも必要性とも離れているように思う。
 この法律案が、文部科学省の中央教育審議会の分科会の検討委員会というところで検討されている様子のあらましは、文部科学省のウェブサイトでもわかる。新設される助教(たしか戦前に教員資格をもっていない代用教員をそう呼んでいたのではなかったか?)に対して認める独立性がみるみる低下していくのがわかる。[ここから、大学の教員組織の在り方に関する検討委員会のところを参照]
 『若手研究者が全て独立してしまうということがいいことなのか、ということも考えなくてはならない。これから伸びようとする若手研究者を助手として独立させるとその助手は伸びない。』といった意見も検討委員会で出ていて、繰り返し読んでしまった。『実績がないためにテナントが余り取れないときに教授や助教授からテナントも分けてもらって、そのあいまに大学院生の指導も少しやりながら、』といった箇所[原文こちら]では、テナントが何を指すのか、頭をかかえた。さらっと読むと研究資金とか設備なども含めた研究資源のことを指しているような気がするのだが、普通、貸店舗やそれを借りている人をテナントといっているだろう。
 分野によっては、大学院生やポスドクのことをテナントと言っているのだろうか。どなたか教えてください。

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2005.05.19

[その他]調査統計局

 ここには統計的方法について書くはずだったのだが、地震のことばかりだ。今回も”統計”なのは名前だけ。

 さて、だいぶ前になるが(今働いている大学に転勤してくる少し前)、今西錦司の戦前・戦中(1945年に日本の敗北で終わった第二次世界大戦のこと)の事跡などを調べるため、1933-1946年付近の中国での日本人科学者(まず例外なく占領軍である日本軍[というより大日本帝国軍]のもとに行っていた)について調べていたことがある。どこでも触れられていなかった(当時)今西錦司関連資料なども見つけることができ、作業自体は発見にあふれていた。戦中は激しいバブルであり、中国はじめ占領地に行っていた日本人研究者はびっくりするほど多かった(ある所でそう話したら、年配の方から資金などなかった例をいくつも紹介された。バブルの時期には、金が回らないところが実は多く、まわるところにはうじゃうじゃとしている、とお答えした)。
 時代背景を知らないとそもそも史料の意味もよくわからないので、仕方なく勉強を始めた。日本軍がやってくるので、当時の中国政府が次々西へ首都を移動(南京から武漢へそして重慶へ)し、大学も重慶へ移動した(人が移動するわけであるー新キャンパスへの移転といったものとはちがって)。もし日本だったらと想像すると、大阪・京都や東京は占領されて、会津若松か山形(盆地)に首都を移動して、あちこちの大学の学生と教員も移ってきて大学を名乗っている、という状況だろうか。これが日本で起こったら、100年たっても忘れられないだろう。考えてみると”どこかの国が攻めてくる”ネタの小説などはかなり多いが、”占領されてその気になってしまう”ネタは『サモワール・メモワール』などはあるが(『征東都督府』も少し近いかもしれない)最近あまり見ない気がする。想像力減退の表れでないとよいが。
 そのころの中国政府のトップは蒋介石で、国民党政権である。そこに調査統計局という組織があったことがよく出てくる。陳兄弟とか載笠とかいったおそれられていた大物が調査統計局の”えらい人”である。調査統計局は、情報機関である。だいぶ組織の性格やサイズはちがうとはいえ、日本軍の特務機関という名前とは対照的だ。
調査統計局は2つあり、1つは中国国民党中央執行委員会調査統計局で略して中統(テストの名前みたいですが、たぶん情報機関の方が先)、もう1つは国民政府軍事委員会調査統計局で略して軍統(時期によって細かいちがいはあります)である。
 いまの日本では政府の方はたしか「統計局」だったが日銀は「調査統計局」だった。日本の官職や政府関連のさまざまな名称には中国由来のものが多くあるが(もっともよく知られている例は黄門でしょうか)、これも戦前の中国の調査統計局にちなんだネーミングだろうか(銀統とは呼ばれていないと思うが、もし呼ばれていたら教えてください)。

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2005.05.17

[その他]名誉毀損

 久しぶりにネットサーフィン(死語か)していて、松井三郎氏が中西準子氏を名誉毀損で訴えた(このこと自体は新聞記事で見た記憶がある)訴状を見た。内容は驚きだった。学術振興会特別研究員の申請関係書類(私が申請するわけではもちろんない)を脇において何度か見直してしまった。名誉毀損であると松井氏側が考えていることについても書かれているのだが、提訴の理由(2)というところを読むと、”中西氏が「環境ホルモン問題は終わった」と考えている誤り”を断じて見逃せないから提訴に踏み切った、ということがはっきり書いてある。松井氏はまだ終わっていないと考えているのだろう。中西氏が終わったと考えていることを明らかにしているとして、それを裁判で決着しようとしていいのだろうか。
 こちらのサイトにはもっと整然と指摘されていました。私も研究者生活で、研究上の見解の対立で断じて見逃せないと思ったことは何度かありますが、その際の行動はすべて断じて見逃せないので書く(雑誌掲載用の文章など)か言う、でした。

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[機材]伝説のスコープー値段

 以前書いた、伝説のスコープ、Questarの値段を調べてみた。国内の代理店から買う値段は80万円くらいだそうだ(買うことを考慮できる範囲にまったく入らず)。『のだめカンタービレ』の新刊をみて、『サモワール・メモワール』を読み、寝ることにしよう。

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2005.05.12

[その他]締め切り

 原稿の締め切りというものがある。『締め切りまであと何日』といったことはよく言われるが、”何日”のところがマイナスになることがある。このマイナスの日数をかかえている全部の仕事について合計した量を考えてみる。たとえば、締め切りを30日過ぎた仕事と2週間過ぎた仕事があるなら、44ということになる。あるいは、何日過ぎたかはひとまずおいておき、締め切りを過ぎた仕事の個数というのも考えられる。こちらは、締め切りを30日過ぎた仕事と2週間過ぎた仕事なら2である。後者の、”締め切り超過仕事個数”を毎日に対して計算してみる。平均1を越えていると、毎日締め切りを過ぎた仕事を1つは抱えていることになる。締め切りを過ぎた仕事をかかえているときの精神的重さについては藤子不二雄がどこかに描いていた。平均2を越えると気分が悪くなってきて、3を越えると居直るというように、0のところ以外に2つくらいは気分の転換点があるような気がする。
 というようなことを考えながら、「失踪日記」を読んだ。

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2005.05.10

[その他]National Postdoctoral Association

 National Postdoctoral Associationという組織があるのを知った。”International Postdoc Survival Guide”という文書がサイトにある。

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[その他]大学のメールサーバー

 私が働いている大学のメールサーバー(大学の計算機センター[通称]のもの)が不調で、メールが読めない。まだ、はっきりしないが、来ていないメールがあるような気もする。大学の計算機センター[通称]への学内の教職員の評価の98%くらいは、メールがいつも普通に出したり受け取ったりできること、ネットワークがいつも普通に使えること、によっていると普段、感じている。98%などとんでもない、99.999%だ、と言いそうな人も相当数いる。
 何人かの人にメールが今日(すでに昨日だが)読めないのはメールサーバーの問題であって、学科の問題ではないと話しているうちに、どこからともなくきなくさい噂が流れてきた。”赤紙”(大学本部等が、行う行事に学科などに人数を割り当てて動員をかけること、むろん「出席」がとられるー誰かがこう表現したようだ)である。動員される目的は聴衆確保であることが多い。何年か前の、研究室あたり4人の割り当て動員(やはり講堂を聴衆で埋めるためー食べ物無き”寝床”であった)以上のものは今のところ無いが、この種の動員をやっていると単純に時間を奪うだけでも研究教育衰退効果は抜群だ(需要がある時期に生産ラインをとめさせて社員を集め社長の話を聞かせる、といった、数昔前のコメディにでもありそうな状況だが)。私が働いている大学に対抗する組織(存在すると仮定して)のたくらみ(陰謀でなく「陽謀」かもしれない)であるとすれば、まことに効果的ではある。朝永振一郎(かのノーベル物理学賞受賞者)は、研究者に研究以外のことを仕事としてさせておくと仕事をした気になってしまい研究しなくなるといっていたが、そのようなことを熟知する人の考えた策にちがいなかろう。”あそこの大学でもやっている”と聞けば、思わず”うちの大学でも”と思ってしまう、いわゆる管理者の人間心理の陥穽をついた、孫子的術策というべきだろう(単なる感染症的なものかもしれないが。まさかポトラッチではないだろうな)。今回のが単なる噂であればいいのだが。
 てなことを考えながら、懸案のデータ整理の1つについて”EMアルゴリズムだろうか、これは”などと考えていたら、まるで勘違いであっさり最尤推定値が求まることがわかってしまった(すみません、このデータ整理、蜻蛉目でも有尾目でもありません)。
 (5月10日)割り当て動員は本当だった。明日はドナドナである。また、サクラか、昼食無き寝床だろうか。
 (5月11日)ドナドナ覚悟で、研究室でいく準備をしていたら、教授がネクタイ姿で、午前のスケジュールがあいたので自分が出るとのこと。感謝して、ありがたく仕事をする。調査地チェックはできなかったが、締め切りがきている短い原稿など2つ済ませることができた。

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2005.05.03

地震ー近い

 さきほど(5月3日の1時半ころ)の地震(震度2)は、下からどーんというような変な揺れ方だった。震央は、東浜か箱崎浜(区役所の先あたり)だそうだ。大学からも自宅からも2-4kmといったところ(大学からはもっと近いかも)だ。

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2005.05.02

地震(震度4)

 また地震、これはかなり大きい、と寝ようとしたところで完全に起きてしまった(5月2日、1時半ころ)。このあたりではたぶん震度4。震源は志賀島付近のようだ。とりあえず、わが家ではなにも落ちていないようだ。

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