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2005.03.13

[統計]統計的方法といわれなき作法

 統計的方法は、実際にそれが使われている局面を毎日のように見ていると不遇だなあ、と思う。もし、統計的方法が人だったら、世間の無理解につつまれた人だろう。自分が理解されないので発狂するとかいう小説にしても、今だと陳腐でつまらないとされそうだ。
 そうでない時や所もないとは言わないが、あからさまに書けば、統計的な分析の意味や中味ははっきり言って関係なく、見た目がそれらしくて文句がつかなければいい、と人が思っていることが誤解の余地なくわかってしまうことはあまりに多い。そういう場面に出会った人は決して少なくないだろう。私に対してそう公言して、ノート(いわゆるdeath noteではもちろんない)に記録させていただいた人は数多い。

 不遇な統計的方法のことを考えると、自動車学校(地域により、自校と略したり車学と略したりするのはなぜだ?)に普通免許取得のために行っていたころの指導員の一人を思い出す。右折のときの動作とその順番の理由を聞いた私に対して、日本舞踊の初歩を習っているつもりになれ、と言った。なぜそうするのか、さらに聞くと、検定でパスするためであると、教えてくれた(この検定は統計的方法ではありません)。この指導員は、
高速の本線に入るときは思いっきり加速してみろ、右折待ちのとき、車体を斜めにするな
急ブレーキはペダルを蹴飛ばす気で踏め(とくにABSありなら)
などいろいろ有益なことを教えてくれた。

 さて、”統計なんてのはお作法です”とか”検定は形が整っていればいいんです”、”データはともかく有意差を出してください”とか言われても、相手との力関係ゆえに言うのはおそろしい(不安ではなく恐怖)ということもあるだろう。
相手が学問外的力を充分持っていて、逆襲が怖いが素材は充分おもしろくかつひどいなら、私に知らせるとよい。
もし気が向いたら、ここか現在書いている回顧録その2のネタにするから。私が書く程度ではたかが知れているが、次第に知れ渡って人が寄せ集まると、拓峰という感じのこともあるかもしれない。

※回顧録その1は、前任地でのできごとを記したもので、前任地の転任(いわゆる割愛承認の会議席上)のとき、将来の公表をお約束しました。

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» 見た目がそれらしくて文句がつかなければいい [幾霜]
"と人が思っていることが誤解の余地なくわかってしまうことはあまりに多い。"全く。でも質問されたときに面倒になってそう言ってしまったりする自分がいるのも事実なので... [続きを読む]

受信: 2005.03.15 16:41

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