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2005.03.25

地震その5

 4日たったが、まだ大学(の私がいる建物)ではガスが使えなかったし、ひびの入った渡り廊下は点検で一時、通れなくなったり、コンクリートが剥落している建物もけっこう目に付く(鉄筋らしきものが見えているところもある)。廊下にところどころ盛り上がったところがあるのも不気味だ。30分ほど前にも、大き目の余震があった(東区で震度3)。家でもどうもガスを使う気になかなかならない。大学では地震関係のいわゆる雑用が結構ある。

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2005.03.23

地震その4

 連休が明け、大学の事務機構が動き出してみると、建物など結構いためつけられていたことがわかった。とくに中途半端に古い建物は弱いのかもしれない。自分の研究室の書棚の1つは長方形からかなり傾いた平行四辺形まで変形した傷が残っていた。たぶんもう使えないだろう。今日は震度4の余震があった(大学のある東区[東浜の値?]では震度3とのことだ)。かなり揺れた。
 昨日書いた、小呂島は消防庁の資料では被害なしとのことだ。

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2005.03.22

地震その3

 今日は自宅の食器棚を起こし、砕けたガラス器や陶器を処分して、研究室にも行った。西部ガス(正確には関連会社も含む)の人がたくさん来ていた。ガス漏れ注意の張り紙が理学部の正面玄関(中空柱のあるところ)に貼ってあった。自分の研究室は、本が散乱し、机まで行くのも大変ではあったが、ガラスなどが割れて散乱していなくて一安心した。
 書棚がゆがみドアノブをはじきとばしたので、ドアを閉めてはいけなかった。うかつに閉めてしまい出られなくなって、となりの4年生に外からあけてもらった。このゆがんだ書棚はもうだめかもしれない。
 震央が海なので、相の島(新宮町)が気になる。報道では情報がないので、調査で頻繁に行く院生にたのんで聞いてもらった。家などに大きな被害はないらしい。
 玄海島の被害や西浦の避難の報道はあるが、震央に一番近い(ように地図では見える)小呂島などの情報はない。やはり震央にかなり近い九大の新キャンパス予定地は大丈夫だろうか。
 さきほど、また、余震が来ました。

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2005.03.20

地震その2

 まだよく揺れています。倒れた棚はもう少しあとで片付けることにします。

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地震

家にいたところ、ゆらゆらではなく、どーんという激しいゆれでした。
私はとりあえず無事ですが、食器棚が倒壊して、家の中はなかなかすごいです。
研究室はまだわかりません。2つほど余震が来ました。

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2005.03.15

[統計]対数変換

 観察(観測)の結果、得たデータがどうも分析方法の”要求”にあわないため、データの何らかの関数をデータの代わりに分析することはわりと多く行われている(もちろんどんな関数でもいいわけではない。ある関数がある現象に使われ始めたときはたいてい理由があるのだが、ときには理由が忘れられ慣性で持続していることがあるーその狭い分野の外部の人から見ると呪文化していることになる)。
 データの何らかの関数をデータの代わりに使う方法を、変数変換といい、生物関係だともっとも多いのはデータの対数を使う対数変換だろう(他にも私の仕事の種でもある角度変換=逆正弦平方根変換などあり)。この対数変換というものはそれほど扱いやすくはない。なお、対数は正の値でないととれないから、以下は全部正の値の話である。
 対数にしてもそのままでも大小は変わらない。つまりx>yならlog(x)>log(y)である。これは対数関数が単調増加だから当たり前である。では、平均についても同じことが言えるだろうか。たとえば、同じ個数のデータが2組あって、1組目の平均>2組目の平均なら、1組目のデータの対数の平均>2組目のデータの対数の平均であろうか。
 もちろんそうとは限らない。”そんなはずない、対数をとっても不等号の向きは変わらないんだぞ”(実際に私より年配の方からそう言われたことがある)と言われる方は以下の例をどうぞ。
 10個で1組のデータを2組準備しよう。片方は(1,1,1,1,1,1,1,1,1,1000)つまり1が9つで1000が1つ、もう片方は(10,10,10,10,10,100,100,100,100,100)つまり10が5つで100が5つ、である。対数をとらない、ときの平均はいうまでもなく最初の組のほうが大きい。対数をとったときはどうなるだろうか。最初の組は0が9つで3が1である。2番目の組は、1が5つで2が5つである。最初の組のほうがだいぶ小さい。
 これを、お金だと思ってほしい。私が10円玉5枚と100円玉5枚を準備するので、1円玉9枚と何らかのお金1つ(金塊や小切手でもいいものとする)を対数をとった後での平均が私のほうと同じに(あるいは私のほうより大きくても良い)なるように準備していただく。そして、私の用意した10円玉5枚&100円玉5枚と交換すると、対数変換が実感できてよいわけである。私は「10円玉5枚&100円玉5枚」の側を用意するので、どなたでも挑戦してください(国立大学法人の非役員教員が挑戦するという場合には支払能力の証明を先にお願いしますーそうでないと無意味だから。その際、国立大学法人での生涯賃金の計算はほとんど意味がないので、他の資産や収入に関するものだけで結構です)。
 この例は、いろいろ複雑な修飾物がついていないのでデータ解析的リアリティーはないが、多少わかりやすいだろう。ばらつきが重要なわけである。もっと飾りがいろいろついたリアリティーのある例は、久保拓弥さん(北大)が『生物科学』という雑誌に書いている。

 ここでの例は常用対数にした。自然科学では自然対数のほうがずっと普通である。ただ、自然対数にしても例としての意味はほとんど変わらない。
 
 

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[統計]威力のあるごまかし

 統計的方法にまつわるごまかしの種類は多い。しばらく前に、本の一部に、統計的ごまかしの方法の短いリストをのせたことがある。ただ、いろいろな状況で使用可能でもっと威力のあるごまかしがある。それは、ブロックや層別因子(あるいは共変量)を隠すことである。これほど、適用範囲が広くて、しかも大きな効果があるごまかしもそうはないだろう。
 ということは、ブロックなどを取り入れるかそうしないかによって検定などの結果は大きく変わりうる。ブロックや層別因子(あるいは共変量)を認識することは実際の効果も大きい、重要な技術だということである。
 (ごまかしの方ではなく)その重要性をものがたる例が、柳川先生の『離散多変量データの解析』(共立出版)にある。

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2005.03.14

[統計]ばらつきを忘れる

 ひとによっては、統計的方法とはかなりあちこちに落とし穴のある、意地の悪いものと感じるかもしれない。落とし穴の中でも相当の一般性があるのが、”ばらつきの忘却”だろう。統計的方法で扱う各種の量の多くは、数学的には確率変数であり、Xといっても、たとえば3とか5.25とか決まった1つの値ではなく、確率0.22で3.11で確率0.19で3.23・・・(以下略)といった、ある確率である値をとるものである。別の言い方をすれば、ある1つの決まった値ではなく、ある値の回りにばらついている。ばらつきの定量的な指標の1つである分散(variance)を使って、さらに言い換えると、分散が0ではない、ということになる。
 だが、このばらつきがあることは、どうも忘れやすいらしい(統計の初歩を習ったら身についていなければいけないことだと、確かファインマンが言っていたと思うが)。ばらつきの存在を忘れたための誤りは数多い。分散や確率分布を考えずに、あたかもばらつきのない決まった値であるかのように扱うと、陥穽はほら、すぐ足の下である。

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2005.03.13

[統計]統計的方法といわれなき作法

 統計的方法は、実際にそれが使われている局面を毎日のように見ていると不遇だなあ、と思う。もし、統計的方法が人だったら、世間の無理解につつまれた人だろう。自分が理解されないので発狂するとかいう小説にしても、今だと陳腐でつまらないとされそうだ。
 そうでない時や所もないとは言わないが、あからさまに書けば、統計的な分析の意味や中味ははっきり言って関係なく、見た目がそれらしくて文句がつかなければいい、と人が思っていることが誤解の余地なくわかってしまうことはあまりに多い。そういう場面に出会った人は決して少なくないだろう。私に対してそう公言して、ノート(いわゆるdeath noteではもちろんない)に記録させていただいた人は数多い。

 不遇な統計的方法のことを考えると、自動車学校(地域により、自校と略したり車学と略したりするのはなぜだ?)に普通免許取得のために行っていたころの指導員の一人を思い出す。右折のときの動作とその順番の理由を聞いた私に対して、日本舞踊の初歩を習っているつもりになれ、と言った。なぜそうするのか、さらに聞くと、検定でパスするためであると、教えてくれた(この検定は統計的方法ではありません)。この指導員は、
高速の本線に入るときは思いっきり加速してみろ、右折待ちのとき、車体を斜めにするな
急ブレーキはペダルを蹴飛ばす気で踏め(とくにABSありなら)
などいろいろ有益なことを教えてくれた。

 さて、”統計なんてのはお作法です”とか”検定は形が整っていればいいんです”、”データはともかく有意差を出してください”とか言われても、相手との力関係ゆえに言うのはおそろしい(不安ではなく恐怖)ということもあるだろう。
相手が学問外的力を充分持っていて、逆襲が怖いが素材は充分おもしろくかつひどいなら、私に知らせるとよい。
もし気が向いたら、ここか現在書いている回顧録その2のネタにするから。私が書く程度ではたかが知れているが、次第に知れ渡って人が寄せ集まると、拓峰という感じのこともあるかもしれない。

※回顧録その1は、前任地でのできごとを記したもので、前任地の転任(いわゆる割愛承認の会議席上)のとき、将来の公表をお約束しました。

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2005.03.10

[機材]集団遺伝学の本

 研究が進化とかかわりをもつと、集団遺伝学(population genetics)の勉強はまず欠かせない。研究の中心的な関心は、たとえば生態学的なものだったとしても、である。集団遺伝学の教科書は膨大というほどではないが、いくつもある。Hartlのいくつかの教科書、頼りになるCrow&Kimuraなどをすぐ思いつく。私自身が勉強して役立ったのは、NagylakiのSelection in One- And Two-Locus Systemsだった(この本で勉強したという他人にはあまり遭遇しない)。
 今ではcoalescenceに触れていないと、入門書としても不足かもしれない。GillespieのPopulation Geneticsの2版は新しいし、コンパクトで、集団遺伝学そのものを研究対象としていない人も含めて多くの人に適しているかもしれない。
 集団遺伝学における統計的な取り扱いの教科書についてはまた別に。

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